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mixiユーザー(id:250900)

2020年01月16日02:49

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市川紀行13 東昌寺 / 鬼高遺跡

 5日日曜日はJホテル本八幡(モトヤワタ)をチェックアウトした後、JR本八幡駅のコインロッカーに荷物を放り込み、県道14号線(千葉街道)を東進、曹洞宗浅間山東昌寺に赴きました。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7215724,139.9325214,18z
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 東昌寺は、天正年間(1573〜92)に太誉(タイヨ)禅師が創建した寺で、当初は現在の冨貴島(フキジマ)小学校付近にありましたが、寛永元(1624)年に万明(バンメイ)禅師が現在地に移した物です。墓地内には慶応4(1868)年の市川船橋戦争のため、八幡で戦死した官軍兵士3名を葬った2基の墓石があるとの事ですが、どれか判別出来ませんでした。
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 さらに東進して、古代の真間(ママ)の入江の残滓(ザンシ)である真間川に架かる境橋を渡ります。
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 橋の袂(タモト)に坪井玄道(1852〜1922)生誕地があります。
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 東京高師・東京女子高師の教授を歴任した体育学者で、昨年の大河ドラマ『いだてん』に登場した永井道明(ナガイドウメイ)や可児徳(カニイサオ)と共にドッジボール競技を日本へ伝えた人物です。
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 続けて東進すると、京成本線鬼越(オニゴエ)駅前に鬼越墓地があります。
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 鬼越村の名主だった鈴木又右エ門(スズキマタエモン)が、安政2(1855)年の安政江戸地震で散逸した祖先の墓を収集して纏めたのが始まりの霊園です。
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 鬼越駅前から南下し、真間川に架かる新川橋を渡ってJRのガード下を潜ると、ダイエーやトイザラスの並ぶ商業地区があり、その南側の公園が鬼高(オニタカ)遺跡〔市川市指定史跡〕です。
 https://www.google.co.jp/maps/@35.7144344,139.9353292,17z
 鬼高遺跡は、昭和12(1937)年に共立モスリン工場造成工事に伴って発見された古墳時代後期の集落遺跡です。工事を始めると水田表面下1m程度で貝殻が出土し、さらに1m程掘り下げるまでに、獣骨・杭木・土器片等が発見されたのです。
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 この遺跡の特徴は岸近くの海上に住居を築いて、漁撈中心の生活をしていたと考えられる事です。遺跡基底の標高は約2.7mで、同時期の他の遺跡より遥かに低位です。発見された杭木は人工的に切り落とした物と自然木がありますが、人の手が加わったものは住居の用材だったと考えられます。貝塚は杭木が発見された地帯を半月形に囲んで形成されていました。そこから牡蠣(カキ)・蛤(ハマグリ)・蜆(シジミ)等の陸地近くで捕獲できる貝が見つかり、魚骨・魚鱗の外。漁具の土錘(ドスイ)も発掘されています。
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 また、ここからは大量の土器〔市川市指定文化財〕が発掘され、いわゆる鬼高式土器の標式遺跡となっています。
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《続く》
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月18日 01:27
     江戸時代の家屋など大地震で全て倒壊したでしょうねあせあせ(飛び散る汗)関東大地震・東南海地震が間近と言われているので不安です。
     鬼高遺跡は海上に住居を築くとは面白い集落ですね。台風や高潮で流れそうですが、遺構が見つかるとは凄いです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年01月18日 06:46
    不識庵様
     海上に家屋を建てようとすると、深く柱を埋め込む必要があるので遺構が残り易かったのかもしれません。
     江戸時代の地震で一番怖かったのは、やはり大火災の発生でしょうね。今の東京で地震に因る火災が起きたら、ビル風で被害が拡大しそうです。

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