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2019年04月19日16:41

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山口紀行28 十朋亭 / 山口ふるさと伝承総合センター

 3月20日水曜日は、龍福寺に参拝した後,少し南方にある十朋亭(ジッポウテイ)維新館へ向かいました。
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https://www.google.com/maps/place/%E5%8D%81%E6%9C%8B%E4%BA%AD%E7%B6%AD%E6%96%B0%E9%A4%A8/@34.1823821,131.4775547,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x35449772065fbf67:0x740cf717477710f9!8m2!3d34.1823821!4d131.4797434?hl=ja
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 十朋亭維新館は、明治維新への扉を開いた「明治維新策源の地 山口」の歴史に触れるふれるミュージアムとして,当地で醤油の商いを営んだ豪商萬代(バンダイ)家の土地・建物・伝来資料を平成27(2015)年に山口市が譲り受け、整備した物です。平成30(2018)年9月にオープンたばかりです。
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 萬代家主屋です。
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 萬代家は江戸時代から醤油製造業を営んでいた豪商で,この建物は茶室として明治22(1889)年頃に建てられ、その後主屋に改修されました。
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 内部では雛人形が展示されていました。
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 杉私塾です。萬代家の建物の一つで、吉田松陰の兄である杉民治(スギミンジ;1828〜1910)が、明治初頭に私塾を開いていたとされる場所です。
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 十朋亭〔山口市指定史跡〕です。
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 萬代家の離れですが、長州藩が萩から山口へ藩庁を移した際、萬代家が藩の役人たちの宿泊所となり、当主萬代利兵衛が尊攘派志士達の活動を援護していた事から、多くの来客があったと伝えられています。
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 利用者には,桂小五郎・高杉晋作・久坂玄瑞(クサカゲンズイ)・大村益次郎・伊藤博文・井上馨・山縣有朋等の錚々たる名が連なります。
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 維新館本館です。
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 こちらには200円の有料エリアがあります。
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 山口市に伝わる幕末維新期の歴史資料や萬代家から寄贈された掛軸などの美術品、陶磁器などの工芸品が展示されています。
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 萬代家略系図です。
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 萬代家文書〔山口市指定文化財〕です。
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 5代当主利兵衛の弟である甚七関係の物が中心です。
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 山口経済の中心地だった道場門前橋の絵です。
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 長州藩山口御茶屋地図です。
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 内閣総理大臣山縣有朋公爵元帥の若い頃の書状です。
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 続いて県道62号線を少し北上し、漆工芸「大内塗」や「萩焼」などの技法を学ぶ施設である山口ふるさと伝承総合センターへ赴きました。
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 この建物は、造酒屋の店舗兼住宅として明治19(1886)年に建てられた二階建町家である旧野村家住宅主屋〔登録文化財〕です。屋根は段違いの切妻屋根で、桟瓦葺ですが、一部が金属板葺になっており、軒先まで漆喰仕上げとされています。正面二階には虫籠窓を設け、両端に袖壁が出ています。一階下屋庇には出格子が設けられ、内部は重厚な小屋組も特徴で、明治期の町家建築の典型的な外観を有する建物となっています。
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 こちらは旧野村家住宅土蔵〔登録文化財〕です。主屋と同時に建てられたと推定されており、屋根は、瓦屋根の下に隙間を持たせた置屋根(オキヤネ)型式です。規模は、山口地域の土蔵建築に多い桁行3間・梁間2間で、家財道具を納める等の内向き用に使われていました。
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 この段階で、日没までまだ時間があったんですが、一日中歩き回って疲労度が増していたので湯田温泉のホテルへ戻る事にしました。
 バスが異様に混んでいたので、山口駅からタクシーに乗るつもりで駅へ向かいました。
 途中、中河原停車場跡がありました。明治41(1908)年から大正2(1913)年にかけて存在した大日本軌道の軽便鉄道停車場です。この一帯は長州藩山口御茶屋跡でもあります。
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 一の坂川です。
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 高嶺城跡〔史跡〕遠望です。
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《続く》
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