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2019年02月24日05:05

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淡路・鳴門同窓会紀行4 大塚国際美術館

 17日日曜日は、ATサンが朝から帰宅し、残る五人は二台の車に分乗してザ・グランリゾート・エレガント淡路島を0900時頃に出発、神戸淡路鳴門自動車道を南下して、徳島県鳴門市の大塚国際美術館を目指しました。私は前日同様YUサンの車に乗せて貰いました。途中、強い雨が降りましたが、鳴門に着く頃には止んでいたので助かりました。私が大塚美術館を訪れるのは14年ぶりです。
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https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8/@34.2325154,134.6355313,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x3553614c2f370d1b:0x78d1b5a470e75961!8m2!3d34.2325154!4d134.63772
 大塚国際美術館は、大塚製薬グループの創業75周年事業として平成10(1998)年に開館した延床面積29412m²にも及ぶ美術館で、平成19(2007)年に延床面積47960m²の国立新美術館(東京都港区)がオープンするまで、日本最大の美術館でした。但し、ここには本物の絵画は存在せず、世界25ヶ国・190余の美術館が所蔵する西洋名画1000余点をオリジナルと同じ大きさで複製し展示する陶板名画美術館なのです。美術館の年間来場者数は去年まで約38万人でしたが、昨年末の紅白歌合戦で米津玄師(ヨネヅケンシ)の歌唱の舞台となったため、今年に入って入館者が急増しているそうです。入館料は3240円もしますが、西洋絵画に興味のある人にとっては、充分値打ちのある所です。
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 館内は地上二階・地下三階で、原則的に下から古い時代順になっており、地下三階から上へ登って行くのが順路です。 
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 先ず、地下二階には当館の白眉であるシスティナ礼拝堂の環境展示があります。ヴァティカン市国にある15世紀の建築の内部が実物大で再現されているのです。
 ここはミケランジェロ(1475〜1564)の最高傑作である壁画《最後の審判》(1541年完成)と天井画《天地創造》(1512年完成)があります。
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 《天地創造》の「楽園追放」です。
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 フランスの聖マルタン聖堂の環境展示です。
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 ポンペイ壁画の《イッソスの戦い》です。左手の馬上の人物がアレクサンドロス大王、右手の馬車上の人物がアケメネス朝ペルシア帝国皇帝ダレイオス3世です。
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 ラヴェンナのサンヴィターレ聖堂壁画《ユスティニアヌス大帝》です。
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 続いて、ルネサンス・バロック絵画の地下二階へ上がりました。
 ボッティチェリ(1445〜1510)の《ヴィーナスの誕生》(1483年頃)です。異教の女神を全裸で描き、二つの意味で従来のタブーを破った画期的な作品でした。
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 レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452〜1519)の《最後の晩餐》(1498年)です。ミラノのサンタ=マリア=デッレ=グラツィエ修道院の壁画ですね。
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 レオナルド=ダ=ヴィンチの《モナ=リザ》(1503〜19頃)です。意外に小さな作品です。
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 ラファエロ(1483〜1520)の《アテネの学堂》(1510年)です。中央左側のプラトンが上を指さしてるのは抽象性、中央右側のアリストテレスが下を指さしてるのは具体性を象徴しています。
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 北ネーデルラント出身のブリューゲル(1525?〜69)が描いた《バベルの塔》(1563年)です。これは一昨年実物を観ました《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963047776&owner_id=250900》。
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 神聖ローマ帝国ニュルンベルク市で活躍したマジャール人画家デューラー(1471〜1528)の《四使徒》(1526年)です。ドイツルネサンスの代表作ですね。
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 フィリップ=ド=シャンパーニュ(1602〜74)《リシュリュー枢機卿》(1637年)です。リシュリュー(1585〜1642)はルイ13世の宰相としてフランス絶対王政を確立した人物です。アレクサンデル=デュマの『三銃士』ではワルモノとして登場しますが。ww
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 レンブラント(1606〜69)の《夜警》(1642年)です。影を描く事で絵のリアリティーが増しています。
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 オランダのフェルメール(1632〜75)の代表作《真珠の耳飾りの少女》(1665年)です。これは七年前に実物を観ています《https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1879156388&owner_id=250900》。
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 フランス印象派のモネ(1840〜1926)が描いた《大睡蓮》(1916年)です。これは屋外展示です。
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 次はバロック絵画・近代絵画の地下一階です。
 ブーシェ(1703〜70)の《ポンパドゥール侯爵夫人》(1759年)です。ポンパドゥール侯爵夫人(1724〜64)はフランス国王ルイ15世の愛妾として権勢を振るい、『百科全書』の出版に協力した人物です。
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 ダヴィッド(1748〜1825)の《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》(1807年)です。ダヴィッドは国王ルイ16世によって高く評価された画家でありながら、大革命の際にはジャコバン派の国民公会議員として王の処刑に賛成、後に皇帝ナポレオン1世の宮廷画家として活躍して帝国騎士にも叙されましたが、ナポレオンの失脚に伴い、オランダ領ベルギーのブリュッセルへ亡命を余儀無くされました。
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 フランスのドラクロワ(1798〜1863)が、オスマン帝国軍によるキオス島のギリシア独立運動派虐殺を描いた《シオの虐殺》(1824年)です。イスラム教徒の蛮行を大袈裟に描く事によって欧州各国のギリシア独立戦争支援熱を高揚させる役割を果たしました。フェイクニュースによって愚民を煽るポピュリズム作品ですわね。
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 同じくドラクロワがフランス七月革命を描いた《民衆を導く自由の女神》(1830年)です。暴民共の反逆行為を正当化するポピュリズム作品ですわな。
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 オランダのゴッホ(1853〜90)の《ひまわり》(1888年)です。七点描かれた作品の一つで、日本人実業家山本顧彌太(ヤマモトコヤタ;1886〜1963)が大正9(1919)年に購入して兵庫県芦屋市の山本邸に所蔵されていましたが、昭和20(1945)年8月6日のアメリカ軍による阪神大空襲で焼失してしまいました。 
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 ノルウェーのムンク(1863〜1944)の《叫び》(1893年)です。げっそり
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 一階に上がるとスペインのピカソ(1881〜1973)の《ゲルニカ》(1937年)があります。1937年4月26日にドイツ第三帝國コンドル軍団がスペイン内戦で実施した戦略爆撃を悪意に満ちた画法で描いた大作です。なお、戦時国際法は内戦には適用されませんので、コンドル軍団の行為は国際法上何の問題も無い行為です。
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《続く》

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