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2019年12月16日11:42

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さらば、宇高航路

 岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ航路は、明治末期以来、本州と四国を結ぶ旅客の大動脈だった。香川のみならず、四国において高松が「玄関口」として発展したのも、この航路の存在に負うところが大きい。江戸時代から明治初期にかけては、徳島県の小松島のほうが、近畿を結ぶ港として発展しており、徳島が四国最大の都市だった。

 宇野と高松を結ぶ宇高航路は、国鉄の列車と連動していて、四国三県からそれぞれ予讃線、土讃線、高徳線を利用し、高松で連絡船に乗り換えて宇野に行き、宇野線で岡山駅でさらに乗り換えて東京・大阪、広島・博多方面に向かうのが一般的だった。
 この宇高連絡船は、瀬戸大橋が開通する1988(昭和63)年春に廃止された。この頃、私は小学生だった。ひとつ上の学年は修学旅行でも連絡船を利用していたのだけれど、私の代からは瀬戸大橋線に変わった。

 利便性という点では、瀬戸大橋を利用してそのまま岡山に向かうほうがいい。旅情は確かに船の方に分があるけれど、それとて濃霧になれば運航中止になっていたし、船だけで一時間もかかっていたし、列車のホームと桟橋を移動するだけでもひと苦労だった。いまのように各駅にエレベーターもエスカレーターも設置されていない時代である。

 平成になって、旅客は専ら瀬戸大橋を利用するようになったけれど、トラックの運送においてなお、宇高航路は継続した。JRの連絡船は廃止されたけれど、複数のフェリー会社がなお、航路を維持したからだ。その理由は、瀬戸大橋の通行料が高く、トラック輸送であればフェリー利用のほうがコストパフォーマンスがよかったからである。
 そのような事情もあって、高松築港からはトラックを乗せた宇野行きのフェリーが行き来する光景をなお見ることができた。しかし、瀬戸大橋の通行料引き下げの声が高まり、実際にそれが導入されると、フェリーの収益は悪化し、宇高航路の撤退も時間の問題となっていく。そしてついに、宇高航路の廃止が決まった。
 かつてはいくつも乗り場があったところも、いまでは船の往来をみることはなくなった。

 四国の玄関口としての高松も、これによって名実ともに役割を終えたというべきなのかもしれない。かつては四国三県へのアクセスのよさから、東京や大阪の会社が支店を構え、「支店経済」などと言われてもいた。連絡船や高速艇から下りてきた要人を迎えるタクシーやハイヤーが駅に並び、そのまま料亭に向かうような光景もとっくに過去のものになっている。駅も駅前も、この間、再開発によってかつての様子を思い出せないほど変わった。

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■フェリーの宇高航路、最後の運航 109年の歴史に幕
(朝日新聞デジタル - 12月15日 20:53)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5903085
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