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2019年12月12日21:54

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渡辺信一郎『中華の成立』(岩波新書、2019年)を読む

 渡辺信一郎『中華の成立』(岩波新書、2019年)を読む。これは「シリーズ 中国の歴史」(全五巻)の第一巻で、唐代中期(安史の乱)までを描いている。
 岩波新書は、シリーズものとして日本史、各国史を問わず、数巻にわたる通史を刊行することが増えている。「シリーズ アメリカ合衆国史」も刊行中である。二十年くらい前には、中央公論新社や講談社、集英社などが全集としてこうした通史を出していたけれど、最近はほとんどそういう話も聞かなくなった。本が売れなくなっているせいなのだろう。

 本の内容に話題を移そう。通史とはいっても、たとえば春秋戦国時代や、楚漢戦争、三国時代などで活躍する武将たちは、ほとんど記述されていない。したがって、王朝の交代にかかわる戦争や政変を期待して読むと、肩透かしをくらう。
 本の冒頭でも触れられているように、詳しく描かれているのは各時代における政治制度や社会システムの変容や生活である。これまでの中国史では、それよりのちに書かれた歴史書の記述をもとに、それをそのまま解釈してきた。しかし、考古学的な発見、同時代の文献を詳細に調査した結果、通説とは異なる実態も明らかになってきている。

 たとえば、古代中国の土地制度として代表的なのが、均田制である。一般的には土地をすべて公有とし、そこに民衆を配置して、戸籍をもとに農耕に従事させるとの理解である。
 しかし実態としては、戸籍に基づく均田のほかに、爵位や官職に基づいた土地の領有が認められていた。したがって、全国を公領化したという意味での「均田制」は、古代中国いずれの王朝にも存在しなかったわけである。

 同じことは軍制にもいえることで、戸籍に基づく労役としての府兵制も、画一的な徴兵ではなく、耕作に従事しなければならない人びとを駆り出すことの負担の大きさから、制度的には早い段階から崩れていたことも明らかにされている。
 すなわち、律令制の根幹として理解されてきた均田制や府兵制も、それが動揺することによって、王朝の瓦解を招いたというよりも、制度としては王朝や時代ごとに取捨選択が繰り返されていたと理解すべきなのだろう。

 古代中国については他にも、豪族・貴族制から科挙に基づく官僚制への移行という理解もなされてきた。三国時代になると、王朝に連なる貴族制社会から、在野の知識人たちのネットワークに基づく交流が広がると述べているのは、『漢帝国』(中公新書、2019年)なども書かれている渡邉義浩先生だけれども、この本ではこうしたアプローチはほとんどなされていない。

 ただ、歴代王朝の拠点(関中)を維持することが、権力の正統性を担保するようになったり、それまでの先例(禅譲など)が古典国制として、後継国家の規範となっていくなど、この時代は私たちがイメージする「中国」の原型を形づくっている。
 もちろん、王朝の拡大は、周辺民族との接触、対立や融合を繰り返し、帝国化していくので、「中国」的なものもまた、少しずつそのかたちを変えていくことにはなる。しかしその拡大や融合が行われたのもまた、唐代までの王朝であった。

 しかし、中国の古代史、律令国家としてのかたちが研究の中で相対化が進んでいるとなると、それを模倣した奈良・平安時代の日本もまた、律令制の理解を変えていく必要があるのだろう。中国の律令制が、はじめから「完成」していたのではなく、構造的に無理があるものについては撤廃していったことを踏まえると、日本のそれも「律令制の動揺」ではなく、実態に即した改変とみたほうがいいのかもしれない。
 いずれにせよ、中国史への眼差しは、現代中国そのものへの私たちの関心ゆえであると同時に、日本も含めた東アジア史としての視座も提供してくれる。

https://www.iwanami.co.jp/book/b482334.html
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