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2019年12月10日15:33

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とある知人のこと

 先日、ツイッターに見知ったお名前がリツイートされていた。もう十年以上前になるけれど、大学の先輩を介して知り合った方で、主にネット(チャットやブログ)を通じていろんな話をした。その後、彼は幼児向けの国語教室をはじめ、地元だけでなく、全国に出向するまでになった。彼がそうした活動をはじめたばかりの頃に、一度ご自宅にお邪魔させてもらったことがあるけれど、その段階ですでに部屋に資料がうす高く積まれていて、その意気込みを目の当たりにした。

 話し上手、聞き上手な彼とは、その日もあれこれ議論に花を咲かせたけれど、イデオロギーというと大げさかもしれないけれど、そうした立ち位置には微妙な違いもあった。ただ双方ともに、その違いを受け入れた上で話すことができた。というか、実際に話をしているときには、違いというものをあまり感じなかった。これは一般的にもよくあることで、文章にした言葉と、実際の会話とでは相手の印象が大きく変わるものだ。前者に多少の違和感があっても、会って話をしてみると普通の人だったりする。

 その後、彼は全国各地に招かれて、忙しい日々を過ごすようになる。傍からみても明らかに多忙、オーバーワークだったけれど、「忙しいとは言わない」をモットーにして、ほとんど徹夜でテキストを作り、自分の車で会場に向かうようなことをしていた。
 私もそうした多忙さを目の当たりにして、以前のように気軽に話すことを遠慮するようになった。それでも、彼の活動には敬意を持ち続けているし、いまもその気持ちは変わらない。

 しかし、その忙しさでしばしば体調を崩すこともあり、また経済的な負担も決して軽いものではなかったので、そうした事情を理解できていない人と折り合いがつかないケースもあったようだ。
 幼児教育などは、いわゆる「ビジネス」という認識を持って、実際に活動している人たちもいる。もちろんそれ自体が悪いわけではないのだけれど、一般的には莫大な利益をあげているように思われがちである。
 ただ、彼の場合は文字通り手弁当で、テキストづくりも授業にも手を抜くことがない。時間とカネを切り詰めながらも全国に足を運ぶのは、出講料が高いからではなく、本質的には教えている子どもたちのことを好きだからだろう。そうした純粋さが、彼の異様な行動力を支えている。

 こうした一般的な認識と実際のズレ、そして本人の言説やいわゆる保守層との付き合いから、ウヨクというレッテルを貼られがちで、それもネットを通じて実態よりもオーバーに捉えられてしまっているようだ。私にとっては、生真面目で情熱的なオッサンに過ぎないわけだけれど、このギャップは何とももどかしい。
 ネットは、多くの人たちと意思疎通を可能にしたけれど、ちょっとした認識の違いを拡大させ、結果的に対話を不可能にさせてしまう。彼の場合はまさにそれだ。

 もちろん、だからといって「話し合えば分かり合える」なんて言おうとは思わない。世の中には、分かり合えない人もいるし、ウマが合わない相手も確かに存在する。
 ただ、特にネットの世界では、ちょっとした言葉が人を傷つけ、発信者と受け手で誤解を生じ、悪意を増幅させるところもある。書き手にも配慮が求められるのはもちろんだけれど、受け手も適当に受け流していかないと、そこに残されるのはただただ息苦しい空間だけになる。

 イデオロギー的なものに敏感に反応してしまうのは、いまに始まったことではないかもしれない。ただそれが社会の分断につながっているのは、ネットなどの媒体が、それまで棲み分けができていたものにも触れる機会を与えているせいかもしれない。ネットによって世界が広がった反面、それを利用する側の心に壁ができてしまったのは何とも皮肉だと言うほかない。

 彼にはいまでも多くの支持者がいて、これまでの活動が正当に評価されているのは喜ばしい。無論、彼の活動に違和感を抱く人もなかにはいるだろう。けれどもそれには距離をとればいいだけのことだし、こういうことを言うのもなんだけれど、彼の活動が日本を右傾化させるということもない。そもそも、彼自身がいわゆる「右傾化」を望んでいるとも思えない。
 だから、そんな彼の活動や機会を奪うような流れにはなってほしくない。
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