日本人がコメを食べなくなった。主食米の需要が大きく減っている大きな理由はこれである。
近代史に出てくる食事風景などを眺めていると、当時の人びとは本当によくコメを食べている。家族で食卓を囲み、主菜、副菜、汁物にどんぶり飯は欠かせない。育ち盛りの子どもは特にたくさん食べている。
ただ、それが健康的な食事だったかどうかは、また別の話である。昔は冷蔵も物流も未発達であったから、身近に採れる食材以外は、保存がきくように塩漬けにしたものが多かった。肉はもちろん、魚や卵もごちそうだったから、いつも食卓に並ぶわけではなく、一度の食事での量も限られる。それで腹を満たそうとすれば、塩辛いおかずに大量のご飯という献立になってしまう。これでは糖尿病や脳卒中など、生活習慣病にもかかりやすい。
もっとも、高度成長期前まで、日本では農業を営む人が多かったし、いまと違って多くが手作業だったから、身体を動かす機会も多かった。糖分や塩分の多い食事は、そういった生活に適したものでもあったといえる。
現在は、仕事も家事も移動も、機械や道具の導入や性能の向上によって、作業量は減っている。多くコメを食べていた時代とは、生活そのものに大きな違いが出ているのだ。
また、食材も少し触れたように冷蔵、物流が発達したことで、日本はもちろん、世界中から新鮮なものが手もとに届くようになった。新鮮だから、わざわざ塩漬けにする必要もない。そうなると薄味になっていくし、私たちの舌もそれに慣れてくる。
もちろん、農家もコメの需要減をただ黙って眺めていたわけではない。より美味しいコメを作るため試行錯誤を繰り返した結果、いまでは日本各地にブランド米が生まれた。昔のコメは味わうためのものではなく、腹を満たすものだった。だからそれ自体が美味しいというわけでもなかった。しかしいまは、コメそのものも美味しくなっている。
けれども、それで昔のようにどんぶり飯を食べるかというと、そんなことはない。味わって食べるぶん、量も抑えられる。
政策としての減反、食糧自給率の低下、人口減少などの要因もあるにせよ、近代と比べると日本の人口はまだまだ多い。それでもコメの需要が大きく減っているのは、それ以外にもそうならざるを得ない理由がたくさんあるからだ。
では、コメを中心にした食生活、食文化はこのまま失われていくのだろうか。私はそうは思わない。むしろ、その時代ごとに適したコメの位置づけこそ、大切なのだと感じる。総量としてコメの需要が減るなかで、農家が質を高めるという選択をしたことはとても賢明で、むしろそうした上質なコメは海外市場でも十分に渡り合える。それには、海外の人たちの好みも考慮しなければならないかもしれないけれど、コメ市場を閉鎖的にして農家を保護する政策を維持するだけでなく、もっと輸出に力を入れてもいいのではないか。いまのコメの価値はそれに見合うだけの魅力が十分ある。
食を取り巻く社会や習慣を無視して、昔を美化するよりも、いまの高品質なコメを手にしている私たちのほうが、幅広い選択肢を持っている。それを次の時代に活かしたい。
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■主食米需要10万トン減=20年産、消費低迷―農水省
(時事通信社 - 11月20日 19:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5871885
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