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2019年10月19日13:51

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黒田基樹『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書、2019年)を読む

 筆の速い作家さん、漫画家さんがいるように、学者や専門家の先生方も毎年のように本を出される方がいるのは分かるのだけれど、それでも黒田基樹先生のペースは尋常でない。年一冊でも大変なのに、今年は単著だけで三冊も書いている。最近は、後北条氏を扱ったものが多いけれど、同じテーマを手を変え品を変えというわけではなく、それぞれ異なる視点で扱っているのには舌を巻く。この界隈では「月刊黒田」などという異名が奉られているとか何とか。

 それほどのペースなので、新刊が出ても「あれ、これ前読んだやつだよな」などと誤解してしまうことも多い。黒田基樹『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書、2019年)も、それで危うくスルーしそうになった。

 伊勢宗瑞については、すでに『今川氏親と伊勢宗瑞』(平凡社、2019年)と『戦国北条五代』(星海社新書、2019年)でも扱っているのだけれど、これらは前者が今川氏一門衆としての伊勢宗瑞を扱ったもの、後者が後北条氏当主と一門の概略というかたちにとどまる。
 それに対してこの本は、伊勢宗瑞の生涯を追う評伝になっている。先の本とも重なる部分はあるにせよ、室町幕府の官僚、実姉の嫁ぎ先である今川氏の後見役、そして伊豆、相模を領した戦国大名という、いくつもの顔をもつ人物を真正面から捉えたものとして、非常に読みごたえがあった。


 従来、伊勢宗瑞は北条早雲と呼ばれていて、一介の素浪人から下剋上をなした人物ともみなされていたけれど、近年になって室町幕府の政所執事・伊勢氏の一族で、その生涯において北条を名乗ったことはないということが通説とされた。そして、彼が幕府の官僚という地位を捨て、最後は南関東の有力戦国大名へと転身したのも、進んで目指したものというよりは、当時の政情を踏まえて人生の選択を繰り返した結果といったほうが適切である。

 何もなければ、あるいは幕府政所執事・伊勢氏のナンバー2くらいの地位で生涯を終えていても不思議ではなかった。ただ、今川氏に家督争いが生じたとき、そこに実姉が嫁いでおり、宗瑞に助けを求めたことから、駿河との関わりを深めていく。
 一度は、家督争いを決着させ、甥を今川氏の当主に据えて京に戻ったものの、再び駿河に向かうことになる。これが宗瑞にとって京との決別となったわけだけれども、おそらく本人がそれを自覚していたわけではない。
 まだ幼い甥の今川氏親の後見として、宗瑞は伊豆の腰越公方、甲斐の武田氏、遠江・三河における斯波氏と対峙し、戦いとなれば総大将として出陣を繰り返した。そういうなかから、腰越公方との対立が深まり、それが南関東の戦乱にも関与していくかたちで、独立勢力として、伊豆、相模に影響力を拡大していく。
 このときも、宗瑞にしてみれば、今川氏の一門という意識が強く、独立した大名という自覚はなかったに違いない。しかし、腰越公方を滅ぼし、山内上杉氏、扇谷上杉氏と合従連衡を繰り返すなかで、その地場を固めていく。そして今川氏もそれを認めていくようになった。

 後北条氏の特徴として、統治のかたちが他よりも徹底しているところが挙げられる。これは、京からやってきた新興勢力のため、しがらみが少なかったということもあるけれども、やはり農村単位にまで統治の目を行き渡らせていく姿勢、その先見性と深度が他と大きく違うところであった。
 こうした手法は、後北条氏が滅亡したのち、関東に入部した徳川氏によって引き継がれ、近世社会を形成していく。


 横浜にも縁のある私からすると、伊勢宗瑞やその一族は大河ドラマの題材としては格好なのではないかと常々思っているのだけれど、他方でこの本から分かることは、変な言い方になるけれども、「伊勢宗瑞の事績でまだ分かっていないことは多い」ということである。
 もちろん、一介の素浪人でもなく、幕府の官僚出身で、その後の動きも大まかにはつかめるものの、たとえばいつ、どのように腰越公方を滅ぼしたのか、あるいは小田原城に入ったのかについて、具体的な史料がないために、はっきりしたことが未だ分かっていないのである。分かったことといえば、既存史料の矛盾や誤りが主であり、それから先は慎重に類推していくしかない。
 黒田先生も、本を出すごとに従来の見解を訂正、修正している。それだけ史料読解は難しいということなのだろう。

 とはいえ、戦国時代初期の人物として、伊勢宗瑞は最も史料が多いということも事実だという。逆にいうと、戦国時代の大名や武将たちも、私たちが思っているほど実態が判明しているわけではなく、かなりの部分でドラマや小説などの脚色が紛れ込んでいるということだろう。それは織田信長や武田信玄なども例外ではない。

 それでもやはり、大河ドラマに適していると思われるのは、やはり戦国時代初期における京と関東の戦乱に深く関与していて、それ以外の人物を見出せないからだ。この頃、京と関東ではそれぞれ将軍や公方の勢力争いや有力守護、領主たちの対立が展開していたけれども、全く無関係というわけではなく、微妙に絡み合うところがあったことも明らかになっている。伊勢宗瑞は、それに否応なく関与したというか、彼の登場や行動が、かえって戦乱を拡大させた面もある。
 その利害関係が単純ではないだけ、描くのは難しいかもしれない。けれども、それが可能ならば、戦国時代に対する理解も一層深まるものと思う。

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