このところ、時代史やテーマ史が新書で出版されているケースが増えている。ちくま新書では、「歴史講義」が半ばシリーズ化されていて、古代史、中世史、明治史、昭和史などが複数の執筆者によって書かれている。岩波新書では、古代史(全六巻)、中世史(全四巻)、近世史(全五巻)、近現代史(全十巻)が出て、現在はアメリカ合衆国史が刊行中だ。
そこに中公新書も加わった。山内昌之・細谷雄一編著『日本近現代史講義』がそれである。とはいえ、最初はあまり関心がなかった。私にとっては山内先生、細谷先生ともに、強く影響を受けた研究者ではあるのだけれど、お二人とも日本史研究の専門家ではないからだ。
ところが、執筆陣を見て驚いた。現在の日本近現代史を牽引する専門家だらけだったからだ。そしてそのなかのお一人から、この本を御恵贈いただけた。これは読まねばならない。
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序章と十三章から成り立っているのだけれど、構成が少し変わっている。近現代史というと最初は幕末・維新あたりが定番だけれど、これは明治憲法の成立が第一章である。そして全体的に、統治と対外関係をテーマの中心にしている。したがって、政党史や労働・社会運動などはほとんど描かれていない。
これは巻末で触れられているように、自民党本部で行われた「歴史を学び未来を考える本部」での講義を新書としてまとめたものらしい。統治や外交史が中心なのも、そのためだ。もっとも、内容が保守的な歴史観に基づいたものというわけではなく、それぞれの研究者の専門分野を手短にまとめたものである。執筆陣の論文、専門書、新書の多くを読んでいる私にとっては、本人による手ごろな要約を手にした感じだ。
扱うテーマから、一般的な時代史的な構成ではないものの、日本近現代における歴史研究のエッセンスが詰まっていることは確かである。
また、対外関係についても、東アジア(朝鮮半島、中国)について、特に重点的に描かれているのも特徴だ。これは中国の台頭、朝鮮半島情勢の流動化という事態が生じていることから、特に関心がもたれている分野でもある。
従来は、欧米諸国との関係性から、外交や戦争が語られがちであった。しかし、東アジア諸国の内情や対日関係を詳しく見ていかないと、うまく状況を説明できないことも多い。この点は戦後史や現在の状況にも通じる視点だ。
すでに、歴史学全般にいえることではあるけれども、各国史から時代を説明するという手法から、周辺諸国の動向も踏まえたかたちが今後ますます進んでいくことになるだろう。昭和初期に日本は軍国主義になったから戦争をはじめたといった単純な理解では、物事の本質を見誤ってしまう。
加えて、近代の成立も日本の場合では幕末からはじまるものとされてきたけれど、近代的な社会は近世を土台にしている以上、それ以前から考察していかないとうまくいかない。これも日本だけに限らず、朝鮮や中国の旧王朝時代にも当てはまる。そうした各地域の差異が、近代東アジアの枠組みを規定する要因のひとつになっている。
序章や十三章では、「歴史を学ぶ」ことにも考察が及んでいる。ありふれたテーマではあるけれど、簡単に答えの出る問いではない。ただ、歴史の醍醐味として、さまざま視点から時代や国家、社会や政権を読み解く過程で、ひとつの事象を複眼的に捉える練習にはなる。
自分の先入観から、あるいは妄信から、ひとつの事象にはひとつの事実しかないと決めてかかるのは、たとえば政治や外交を扱う場合、致命的な過ちを犯す可能性が高い。この本の執筆陣が、やや抑制的に当時の状況を淡々と説明しているのも、「歴史を学ぶ」という姿勢がどういうものかを身をもって示しているものともいえよう。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2019/08/102554.html
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