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2019年08月18日10:36

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藤沢というところ

 現在、藤沢の中心部は藤沢駅周辺ということになるだろう。JR東海道線、小田急江ノ島線、江ノ電の集まるターミナル駅で、南北にはデパートのほか、繁華街が広がっている。南北どちらが開けているかは甲乙つけがたい。南は鵠沼と隣接していて、繁華街を抜けると閑静な住宅街が広がっている。北は庶民的な雰囲気の商店街(銀座通り)が続いていて、いつも賑わっている。

 ただ、近世の宿場町としての藤沢というと、そこからさらに北にある遊行寺(清浄光寺)界隈と言わなければならない。もともと藤沢は時宗総本山・遊行寺の門前町として発展してきたからだ。

 時宗というと歴史的には踊念仏のイメージが強い。それを端的に伝える『一遍上人絵伝』からは、念仏を唱え、踊りながら身投げするような、半ば狂信的な人びとまで描かれている。こうした集団が寺を構え、多数の門徒を率いているというのは少し想像しにくい。
 時宗は、開祖の一遍が世を去ってから、一時的に衰退したようだ。身分を問わず、一心に念仏を唱えることで阿弥陀仏から救済され、その喜びとともに踊る一遍には、やはり人びとを惹きつけるカリスマが備わっていたのだろう。しかし、いわゆる鎌倉仏教の開祖たちと同じように、一遍には時宗という宗派をたてたという意識はなかったようだ。これもほかの宗派と同じく、組織化は開祖の死後のことである。

 近世の宿場町としては、意外なことに規模はそれほど大きくなかったようである。というのも、江戸を経って一泊する距離としては、手前の戸塚宿がちょうどよかったからだそうだ。
 一方で藤沢は、江ノ島詣での通り道にあたっていた。江戸の人たちは、大山詣で(現・神奈川県伊勢原市・大山阿夫利神社)のあと、海沿いに出て江ノ島詣でをして帰っていったそうだ。藤沢の遊行寺前には江ノ島街道が通っていて、旧東海道と合流するこの界隈は、そうした点でも賑わっていたと思われる。

 こうしてみると、藤沢という街は、さまざまな性格をもった都市だといえよう。駅前や遊行寺界隈だけでなく、境川と柏尾川、引地川など河川を隔てて雰囲気も変わる。
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