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2019年02月19日13:58

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ガンになるということ

 とある医師が「ガンほどいい病気はない」ということを言っていた。進行具合にもよるけれど、治療や手術によって寛解、延命がいまでは可能になっているし、その間も自分の生に真摯に向き合えるからというのがその理由だそうだ。

 ただこれは、たぶんに逆説的な話でもある。ガンは高齢だとなりやすいとはいえ、どの年齢でもなり得るし、どの部位にできるか、必ずしも明確ではない。生活習慣、食事、運動、ストレス、環境などの要因があることも確かだけれど、発がん性が強く疑われるものを除けば、何かをやっている、やっていないからガンになる、ということにはならない。
 言い換えれば、「どうして私がガンに?」という理由づけができないということでもあり、それゆえに苦しんでしまう。「あのとき無理をしたから」「外食ばかりしていたから」と、因果関係が曖昧でも、私たちはその原因を知ろうとしてしまう。世にはびこる「これを食べればガンにならない」とか、「〇〇療法がいい」という見方に一定の支持が集まるのも、そうした「なぜ私が?」という心理が背景にある。

 そして、そのガンがまだ若い身体に降りかかってきたときのショックはより大きくなる。何よりそれが自分だけの問題でなくなるからだ。家族にも多大な心配をかけることになるし、まだ小さな子どもがいれば、とにかく治さなければ、頑張らなければと思わざるを得ない。敢えて自分からガンであることを明らかにしたり、前向きな姿勢を示そうとしたりするのは、そうした「背負うもの」があるからだろう。

 私は、そういう人たちを心から応援したいけれども、同時にその決意があまりに強い動機から生まれているがゆえに、安易に「がんばれ」とは言えない。とにかく見守って、自分にできることがあればしてあげられたらという姿勢でいるしかない。

 両親をはじめ、身近な家族がガンになったとき、やはり本人は「どうして?」とずっと悩み、苦しんでいた。それを支えてあげられるのは、治療を施す主治医との信頼関係、そして家族のサポートだっただろう。私が家族として十分に支えられたかは分からないけれど、主治医の先生は「無理に治そうというより、自分の身体と相談してうまく付き合うこと」と、何度も母を励ましてくれた。
 本人は、そうして自分の身体と付き合いながら、十分すぎるほど頑張っていた。身体の不調、そこからくる不安のなかでも「負けない」という意思を示すことに、安易な同情は必要ない。

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