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2019年08月24日18:02

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エキサイティングな人生を送ってみないか?

■「mc Sister」「Fine」「宝島」…あなたが影響を受けた“雑誌”教えてください!
(TOKYO FM + - 08月24日 14:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=5760669

「影響を受けた雑誌」って 結構漠然としているというか 間口が広いというか(^_^;)

まずは年齢が若い時分から遡ると「テレビマガジン」でしょうか?
すがやみつる先生の「ひみつ指令・マシン刑事999」でスーパーカーの知識を(一部間違えて)覚えたり
森藤よしひろ先生の「(かがく漫画)ミクロマン」でタカラのミクロマンへの購買意欲を擽られました。

てれびくん、コロコロコミックも勿論手にしていましたが 後年まで影響を及ぼした、といいう意味では1976年〜78年頃のテレマガには敵わないような気がしています。

次いで「アニメージュ」でしょうか?
私が初めて手にしたのは1980年3月号(2月10日発売)。
何の気なしに捲ってみたら、タイガーマスクの最終回について特集していたので「食い付いて」しまいました。
同誌は当初、全く興味の無かった「機動戦士ガンダム」を巻頭特集で掲載しまくっていました。
それに感化されてガンダムに興味を持ち始め、いつの間にかクラスで1、2を争うガンダム通になっていました。
アニメージュ増刊(厳密には「テレビマガジン増刊」)のロマンアルバム「タイガー・マスク」を巡って、書店で本を注文する方法や 見た目は「本」である商材に「書籍・雑誌」の区別があること、出版物はいつまでも世間に出ているわけではなく、出版社が「もう印刷しません、発行しません、売りません」と判断した際に「絶版」となることなどを知りました。
フォト

(「タイガー・マスク(作品名は「タイガーマスク」ですが、何故か「タイガー」と「マスク」の間に【・】が打たれていました」のロマンアルバムは、1980年2月から古本屋を探し歩きはじめ、16年後の1996年7月30日にようやく入手しました。)

次いで(どういうわけか)「週刊プロレス」かな(笑
社説(?)というか 編集者・記者の主観が前回の文体・論調でしたが、それをあたかも自分の考えのように友人に披瀝して 顰蹙を買っていた時期もあります。

そして
「SAPIO」(爆

付帯関連出版物の小学館文庫も含めて、癖のある内容でした。

映画寸評のコーナーがあって、一番悪い評価は「人生のムダ」でしたよね(「時間のムダ」だったかも)。

下町育ち、
ロバート・ケネディの選挙活動に手弁当で参加し、
相容れない(敵対しているとしか思えない)複数の国家の諜報機関員の友人を持ち、
真贋定かでない油田を発掘、
挙げ句の果てにはブルース・リーをノックアウトした国際ジャーナリスト
の纏っている黄金聖衣の正体が鋼鉄聖衣だと知って(実際にはそれを知るより少し前)、SAPIOの購読をやめました。

「そして我が祖国」でしたっけ?

ありがたがってハードカバーの本を何冊も買ったな〜

「エキサイティングな人生を送ってみないか?」

いえ結構、私には「合わない」とわかったので(笑)
むしろ「余計なお世話」ですよ。

小説の登場人物も(ネーミングが)ワンパターンでしたね。

ジョージ・コグレ
ジョージ・ノギ・ザカリアス
ジョージ・ニシナ
ゲオロギー・マリノフスキー(ロシアの人の「ゲオロギー」という名前は、英語読みすると「ジョージ」だそうで)

ジョージ四天王でしたね。

懐かしいです。

都々逸(どどいつ)をはじめとした日本のクラシカルな文芸や風俗をこき下ろし、「アメリカマンセー」なことを仰っていたのに(実はこの頃まではファンでした)
危機(ピンチ)の「機」は好機(チャンス)の「機」でもある、という日本くさい言葉遊びを始めた瞬間 噴いてしまいました。

このSAPIO&落合…否、某自称国際ジャーナリストへの向き合い方・影響の受け具合に自らを戒めるようになり、以後 あまり雑誌は買わなくなりましたし 雑誌の論説にはできるだけ「かる〜く」触れるようにつとめるようになりました。


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