「仮面ライダーV3」秘話を宮内洋が激白!爆発で島にヒビが入った!!
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職場には宮内さんのファンが4人います。
一人は上司(笑)
もう一人は同僚
もう一人は他拠点から助っ人に来てくれたお姉さん(実際には年下の筈)
みんな「おっさん、おばさん」の部類です(^_^;)
アトラクション会場でのファンへの気配り、役作りへのこだわり等、大人の社会人としても見習うべき点はたくさんありますね。
ツーショット写真もありますが、職場の方がmixi内にいるとばれてしまうので掲載はしません。
お体に気を付けて 末永くご活躍を。
家宝の一つ、宮内さんから1991年11月にいただいた直筆の手紙です。
ご参考
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=24934926&id=1918721669
「仮面ライダーV3」の主役・風見志郎をはじめ、「秘密戦隊ゴレンジャー」のアオレンジャー・新命明(しんめい・あきら)、「快傑ズバット」の主役・早川健など、数々の特撮作品で主要人物を演じてきた宮内洋がWEBマガジン「週刊ジョージア」の「ほろ苦インタビュー」に登場。約50年におよぶ俳優生活での“苦い”経験に迫る!
【写真】“V3”から読者への直筆メッセージ!「失敗は…」
■ ドアを蹴破って「V3」の面接に!?
――そもそも、どういった経緯で「V3」の主役に?
テレビドラマ「キイハンター」がきっかけです。
その番組を見ていた制作陣が「ぜひ会ってみたい」と言ってくれたようで。
――オーディションなどではなく指名だったと。
最初にスタッフに呼ばれて面接に行ったときは、「V3」のことを何も知らされていなかったんです。
福島県の雪山で、連日「キイハンター」のロケをしていたら、「明日は休みをやるから、ちょっと毎日放送(「仮面ライダー」の放送局)へ行ってこい」と言われ。
何のことか分からないまま毎日放送へ行ったら、今度は見ず知らずの人間に、「宮内洋、来ましたー!」と呼び捨てにされて、ムッとしましたね。
…後から知ったんですが、「仮面ライダー」の制作会社で、当時僕の所属会社でもあった東映の部長・平山亨(とおる)さんだったんですが(笑)。
――平山さんは、「仮面ライダー」立ち上げ時から携わっていて「ライダーの生みの親」とも言われている方ですよね。
そうです。その平山さんが後に当時のことを語り、
宮内はドアを蹴破って面接場所の応接室に入り、「俺が東映の宮内だ!!」と怒鳴ってイスに座った。
なんて言ってるんです。
そんな常識のないこと、自分には心当たりがないんですけど(笑)。
でも、「“ふてぶてしい”感じが迫力があって良かった」と、後から聞きました。
――ワケの分からない状態でムッとしていた宮内さんが、そんな印象に見えたのかもしれないですね。面接ではどんなことを?
アクションができるかや、バイクに乗れるかなどを聞かれました。
ですが、その場でも「V3」の話は全くなかったんですよ。
――えっ。では、いつ知ったんですか?
翌日、福島のホテルに戻ったら「次の仮面ライダーに決まりましたよ」と言われ。
それで、「はい、分かりました」って。
――それだけですか!?
そうですよ。
というのも、当時の東映には「俳優課」があって、僕はそこに所属していたんですが。
現在の芸能事務所のイメージとは違い、いわば役者として東映に勤めてお給料をもらう、社員だったんです。
だから上の人たちが決めた仕事については、「やれ」と言われたら「はい、やります」と答えるだけなんですよ。
■ 1秒でも長く映っていたい!!
――そうだったんですね。では、「仮面ライダー」はご存知でしたか?
知っていましたけど、見たことはなかったですね。
だから、どういったものか見てやろうと思い、「仮面ライダー」を研究するために、当時とても高価だったビデオデッキを自腹で買いました。
先ほどお話したとおり、きっかけは「やれ」と言われた仕事なので受けただけですが、決まった以上はしっかりやりたいので。
ただ…まわりには内緒にしていましたね。
若くてカッコつけたい年頃だったので「仮面ライダー?なんとなく知ってるよ」というフリをしつつ、こっそり研究を(笑)。
――(笑)。
それで何本か見たら…「勝った!!」と思いましたね。
――勝った?
「キイハンター」のときに“アクションの神様”である千葉真一さんから教えを受けた私なら、変身前のアクションシーンを、もっと盛り上げられると考えたんです。
体の動かし方はもちろん大事なんですが、それ以上に「カメラからの見え方」が重要なんですよ。
「キイハンター」の撮影のとき、千葉さんが爆発の中を走っていくシーンがあり、横から見ていたんです。
すると千葉さんが、
「お前は見学者か?役者ならレンズの後ろから見ろ」
とおっしゃられて。レンズの後ろに移動すると…その迫力の違いに驚きました。
横から見ていると、火薬と千葉さんの間にずいぶん距離があるのに、レンズの位置から見ると、「今にも火薬でやられちゃうんじゃないか!?」という迫力なんです。
――なるほど。
そういった経験から、変身前のアクションシーンを増やしてもらうようにお願いしたんです。
それにセリフについても「大事なセリフは、お面じゃなくて素顔の風見志郎の状態でしゃべった方が説得力が出ていいんじゃないか?」と提案しました。
いい作品を作りたいという気持ちは当然なんですが、役者をやっている以上、
「1分1秒でも長く映っていたい」
というのが本音ですから。それで、V3は変身シーンの“溜め”も長いんですよ。
「トォ〜ッ!!…………変!身!」って(笑)。
――そんな理由が(笑)。
スタッフから「溜めるなよ!時間ないんだから!!」ってよく怒られていましたね(笑)。
■ 撮影用の火薬で島にヒビが!
――変身シーン以外では、制作側から何か言われなかったんでしょうか。「もう演出は決まっているんだから、役者が口を出すな」など。
そう言われないために、私は「撮影前の会議にも参加したい!」とお願いして、打ち合わせ段階から意見を言うようにしていたんです。
「ここで敵が火薬を投げて、ボカンボカン爆発する中を風見志郎が走るようにしたいです」とか。
そこで、私が東映所属の俳優で、制作も東映だったことが生きたんですよ。
「同じ釜の飯を食った東映の人間同士、宮内がそこまで言うならやってやろう!」と納得してくれましたね。
――なるほど。
ただ、予算の問題が出てきてしまったんですよ。
火薬にかかるお金が高いんですが、制作の人間に、
「お前がライダーになってから、今までの3倍火薬が必要になった」
と言われました(笑)。それでも私は、
「火薬を出してくれ!とにかくいい画(え)をとるから、もっと火薬を出してくれ!」
って、予算を管理している方に直談判しましたね。
――そこまですると、本当に役者さんの仕事ではないような…(笑)。
でも、爆破はやり過ぎたことがあって。
これは僕の提案ではなかったんですが「デストロン四国占領作戦」という回のとき、四国のある島で大量の火薬を使ったら、
「爆発で島にヒビが入った!」
と、観光協会からこっぴどく怒られたことが…。
――ええ…。
他にも、神奈川県では海中で火薬を使って、漁業組合から
「爆発のせいで魚がいなくなる!もう来ないでくれ!!」
と怒られたこともあります。
制作スタッフは、年中いろんなところに謝っていましたね。
■ 大ヒット主題歌のギャラが3万円…
――V3が人気になり、風見志郎ではなく俳優・宮内洋としてのお仕事も増えたのでは?
いえ。「V3」のときは、他の仕事をしている時間なんてなかったです。
平日は早朝6時に新宿へ集合しロケに出発。暗くなってきたらスタジオに移動し、深夜まで撮影やアフレコ。この繰り返し。
土日は日本各地のデパートで「V3ショー」です。
――ハードですね…。
ただ…「V3ショー」は、テレビとは別でギャラが出たので嬉しかったんです(笑)。
――(笑)。
当時の僕は、東映の社員扱いなので固定給だったんですよ。
だから、主役といっても特別ギャラが多いわけでもなく。
例えば、僕が歌っているV3の主題歌「戦え!仮面ライダーV3」は、280万枚売れているんです。
それなのに、僕の手元に入ってきたのは当時のお金で3万円、今の金額では30万円くらい。
正直「もっと、もらってもいいんじゃ…」と思いました(笑)。
――そんなことが(笑)。では、私生活で「V3」の人気を感じたことは?
電車に乗っていて、学生たちに「あっ、仮面ライダーだ!」なんて言われることはありましたね。
私は「俺は仮面ライダーじゃねぇ!……V3だ!!」と返していましたが(笑)。
――(笑)。
あと、キャバレーに行ったら女の子から「V3の大ファンです!!」なんて言われたりして。
風見志郎のイメージをくずさないために、マジメにしなくちゃいけないので、辛かったです(笑)。
■ 「死ぬ!」高度100メートルから落下の危機!!
――そうして老若男女から人気となった「V3」。しかし初代「仮面ライダー」は約2年間続きましたが、「V3」は1年間で最終回を迎えます。
元から1年と決まっていたんですけど。
それでも…ショックでしたね。
――決まっていたのに?
私は、「その期限をくつがえすぞ!」という気持ちで、やっていたんです。
視聴率も良かったし、なんとかなるかもと思っていたんですが、結局はムリでした。
――そこまでの意気込みで…。
だから終わりが決定したことを聞いた日は、助監督をしていた人間と飲みに行き、
「何でなんだよ!!」と泣きましたね…。
――そんなことが…。そして「V3」終了の翌年には「秘密戦隊ゴレンジャー」(1975-77)のアオレンジャー・新命明(しんめい・あきら)役に抜擢されます。
はい。同じく東映の特撮作品ということで、
「風見志郎がV3じゃなくて、アオレンジャーに変身した!?」
と思われないように、肩の動き方や腰の落とし方など、工夫しました。
――子供の夢が壊れますからね。「ゴレンジャー」で“苦い”ことはありましたか?
一度、湖面100メートル上にある動くロープウェイから落ちそうになったことがあります。
「青い大要塞!大暴れバリブルーン」という回なんですが。
もし落ちていたら…命はなかったですね。
――恐ろしいです…命綱はなかったんですか?
なかったですね。台本では、ロープウェイの屋根に上がって、そこで変身する予定でした。
でも、「これくらいじゃ、面白くねーや」と思って。
屋根のさらに上にある、ロープに引っかかっているフックの上に登っていったんですよ。
そこで「トォ〜〜ッ!!」って叫んで変身しようとしたら、ロープウェイを動かしている人が、その声で何かあったのかと思って、緊急停止させたんです。
急に止まるから上に乗っている僕は揺れて…本当に「死ぬ!」と思いましたね。
――スタッフから「無茶するな!」とは?
いえ、「よくやったな!」って(笑)。
■ “人食いトラ”に狙われた!?
――「ゴレンジャー」終了と前後して、またも東映の「快傑ズバット」(1977)という特撮作品で主役・早川健役を。正直「そろそろ特撮以外もやりたい」とは?
思わなかったですね。
僕は演技もアクションもできる「アクション俳優」としての自分に、誇りを持っていました。
特撮は、その両方を生かすことができますから。
――確かに。
変身ヒーロー作品以外でも、危険なシーンをスタントマンに任せず自分で演じていました。
「暴れん坊将軍」(1978-82)で御庭番(おにわばん)を演じたときは、高い屋根の上を走ったり、飛び降りたり。
「Gメン'75」(1975-1982)では、トラから逃げ回ったり頭をなでたり。
――トラ!?
麻薬組織に捕まり、人食いトラに食べられそうになるシーンがあるんですよ。
設定では「実はそのトラの幼いころに僕と遊んでいて、なついていた」となっているんですが…。
本当は初対面だし、いつ飛びついてくるか分からない(笑)。
――(笑)。ずっと体を張られているんですね。
でも、普通の俳優ならスタントマンに頼むようなシーンも自分でやってきたからこそ、今の私がいると思うんです。
幸い大きなケガはしませんでしたが、私の両足には、いまでも無数の傷が残っています。
爆発の際に、火薬やセメントの破片が飛んできて、足に刺さるんですよ。
“すねに傷のある男”なんてカッコイイじゃないですか。傷は勲章だと思っています。
“失敗”もそうです。「失敗は成功の元」というか…「失敗は成功の味の素」というか(笑)。
失敗が多いほど、人生の味を増してくれるんじゃないでしょうか。
(※この記事は「週刊ジョージア」の記事から抜粋したものです。全文はオリジナルサイト<
https://weekly-g.jp>でご覧いただけます)【週刊ジョージア】
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