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2020年07月25日22:58

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氷川丸・・・

これがよ〜
ワシが7日の旅に出る前に借りていて
旅から帰ってから
読んでいる本じゃよ・・・

わしは今回の旅に
一冊の本も持って行かなかったのじゃよ
そのようにワザとしたのじゃよ

旅の時は
いつもと違う非日常に没頭したいじゃん

ワシはよ〜
本の虫ではあるけど
別に無ければ無くても平気なんじゃよ

そんなものが在っても無くても
揺らがない常識のある己をもう確立しておるからのう〜

活字などなくても全然平気じゃ〜

ワシは五感を働かせて感知することだけで
十分に楽しむことが出来るからのぉ〜

この旅で感じたり
知ったことを
ボチボチ書いて伝えようかと思うサ〜

(でもよ〜 そうなんだけどよ〜)

今日は3冊ほど
この中より読んでいたんじゃけど

驚いたのは「氷川丸」じゃよ

この船が活躍したのは
昭和5年から35年までの30年間だったけど

実はこの船はものすごく活躍した船だったんじゃよ

当初は
日本とアメリカ西海岸のシアトルを結ぶ
定期豪華貨客船として作られたのじゃけど
そのうち太平洋戦争がはじまり
病院船として活躍し
終戦後は
各地に居る兵隊さんを帰還させる
復員船として活躍し
その後は
満州の民間人を移送する引き上げ船として活躍して

その任務を終えた後は
不足する食料を諸外国から運ぶ運搬を担い
最後はまた
初期のシアトルを結ぶ貨客船として活躍して
昭和35年に船としての現役を退いたのじゃよ・・・

戦争当時国際協定で
病院船は攻撃にさらされないという
不可侵の規定が在ったので
一発の魚雷をみまわれることもなく
飢えやマラリヤ 負傷に見舞われた兵隊さんたちの命を救い

戦後は復員や引き上げを助ける大活躍をした船であったんじゃよ

この船が運んだ人数は9万人を超えるそうな

絶望に陥った病人や負傷者を
6万人以上も運び・助けた船であるらしい・・・

ワシはこの本を読むまで
知らんかったんじゃよ・・・

作られて今年で90年じゃよ

今も横浜・山下公園の埠頭に
静かに係留されているが

この船によって
活かされた命がどれだけあったか・・

それによって新たに生まれた命がどれだけあったか・・・

それを思う時
この船を眺めるときの
ワシの気持ちは
多いに違うのである・・・

今度横浜に立ち寄るときは
是非その本物の姿に触れてみたい・・

この船で命を落とした人
この船から海に飛び込んで亡くなった人も
多数居るのじゃよ・・・

それを知ったうえで
あらためて訪れたいと思うんじゃ

(本を読むということは
こういうことに触れる機会を
持つことでもある・・・)

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