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2021年09月22日01:21

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ガラスの四番打者


君はきっと
ガラスの四番打者
打席立ってよ
振ってこいよ そうだ

(中略)

ミスをしても気にすんな
後悔だけはしなさんな

(キリンジ『ナイーヴな人々』)



* * *



自分は繊細さが無いわけでは無い。
寧ろ、もっと図太くなれたら・・・と思う事もある。
その方が、もう少しラクに生きられそうな気がして。

しかし、社会の中で、
物凄く繊細な、繊細さのエリートクラス位の人と出会ったりする。
常に周囲から大量の情報を感じ取っていて、
その分思考も回って、どれを選択して、どうすれば一番完璧なのか、
どう振舞えば、どのタイミングでどう出れば、
完全な行動や対応になるのかを考え過ぎて、身動きがとれなくなってしまう人。

そういう人を目の当たりにしていると、
自分は自分自身が思っている程には繊細では無く、
程度鈍さ、図太さも実は持っていて、
なんだかんだズッコケながらも身動きをとっている、
時にはやり辛さもあるけれど、最後は身動きをとっているのだ、
という事に気付かされたりする。

そして、表に直接的には出さないが、
若い頃より内面がドライになって来ていると感じる時がある・・・
というか、本音ベースで自己対話する様になって来た気がする。
以前よりは(出来る時は)。

鈍さを持っていて日々それにより救われている面もあると認識する事、
自他の不完全さを受容する事、
何を選んでも選んだ自分が引き受けて味わうのだという感じで、
後悔の念や強迫観念的なものを減らす事、
過去に起きた事実は変わらぬが、
(自分にとっての)その意味付けは変化するものだと知る事・・・

何か色々、自分の中で勝手にやっている。
それにより、急に全てをラクな感覚に変えられるわけでは無い。
しかし例えば、以前は話しにくかった人と話し易くなったり、
人の話を以前より表情やトーンも含めてよく聴く様になったり、
結果、あまりブレたりズレたりしない分、
コミュニケーションがシンプルに、ラクになる感覚もあったり、
という時もある。

そして自分の或る過去に対しての自分の意味付けが変わるという過程には、
新たな体験をして味わうという時間が必要であり、
その時間の積み重なった現在から或る過去を改めて見た時、
その或る過去の中にあった時の思い込みが外れて行く感じがある。
そういう場合、それはもしかすると大きな変化が生じていて、
脱皮みたいなものなのでは無いかと思ったりする。

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