これはたしか、ライアル・ワトソンの「シークレットライフ」(ちくま書房)に載っていた話ですがね。
類似の話はたくさんありますが、そのうちのひとつです。
ある男性が、釣りに行き、結婚指環を湖に落としてなくしてしまったのでした。
しばらくして、再び彼は釣りに行き、魚を釣り上げて帰宅したのです。
彼の奥さんが魚を調理したところ、魚のお腹から結婚指環が出てきたのでした。
奇しくも、その日は彼らの結婚記念日だったのだね。
みなさん、そんなバカな?と思うかもしれないがね。
似たケースは、私もよく聞くのですよ。そんなに珍しくはない現象なのだ。(  ̄▽ ̄)
ちなみに、このような奇現象を収集したチャールズ・フォートは、同じようなケースを何百件も集めているのです。
しかし、このような現象は、いったいどのようなメカニズムで起こるのか?
もしかしたらだよ。
出来事に対して、意味を与えるのは人間だからね。
人間が、意味を見いだすために起こっているのかもだよ。
指環が結婚記念日に帰ってきたのは、偶然ではないのだ。
講座でこの話を披露したあと、私はお客さんに聞いたのです。
「さて、この出来事にはどんな意味があると思いますかね?」
「う〜ん。やはり、びっくりかな」
「ただ、びっくりするだけかな?
結婚指環を手にいれた時は嬉しいもんだと思うがね。
それをまた手にいれるということは、またまた嬉しいに違いないね」
「な、なるほど!じゃあ、夫婦のマンネリ打破ですかっ!」
「そうだ!この超常現象の意味は、夫婦のマンネリ打破かもしれない!
倦怠期を迎えた夫婦に、宇宙が仕掛けたトリックかもしれないのだ!」
マンネリ打破!マンネリ打破!と熱く連呼するケルマさんです。
この現実世界に意味を与えているのは、あなたなのだよ。(  ̄▽ ̄)
意味を見いだすために、現実が創られているのかもだね。
これは、よく精神世界や成功哲学で語られるような「思えば現実になる」ということとは、違うのだ。
例えば、絶えず不安な人は、不安になることで危険を回避しているのだよ。
怒りでいっぱいの人は、激しくなにかを達成したいエネルギーを蓄えているのかもだね。
「ドラゴン、怒りの鉄拳」的な感じだね。
「私の世界は、意味などない」と捉えたならば、世界のすべては実に味気ないものになってしまうのだよ。
しかし、「私の世界に起こることには、意味がある」と捉えたならば、毎日のどんなささやかな出来事にも、とんでもなく深みのある味わいが発生してくるのだよ。
ダバダ〜( ^∀^)
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