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2020年02月22日18:02

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応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱  <読書メモ>

呉座 勇一 (著)  中公新書 2016年刊

発刊当時ベストセラーの書。そのうちに読もうかと思いながら購読まで至らなかったのが、たまたま時間つぶし入った近くの書店の棚にあったので購入した。

「応仁の乱」は京都が舞台のはずなのに本書の冒頭は大和の国(奈良)の興福寺と南北朝まで遡る大和の国の勢力争いから始まる。これは、著者が興福寺別当を務めた大乗院の僧経覚(公家九条家の出自)と同じく大乗院の僧尋尊(公家一条家の出自)の2人の僧が記した日記(公的な記録帳のようなもの)を使って応仁の乱を分析してるいるからであろうか。

室町時代については高校時代の日本史程度の知識しかなく、室町幕府も日本全国の統制ができず、将軍など時の権力者たちが文芸に耽溺した弱体権力程度の認識しかない。歴史は勝者が後で作るものらしいので、後の江戸幕府が自分たちの統治が安定したことを誇示するために誇張したか、もっとありそうなのが王政復古を唱える明治維新政府が足利尊氏を悪者にするために室町幕府を貶めたからかもしれない。

最近知ったのだが、現在日本の文化といわれているものの多く(能、歌舞伎、茶道、日本画など)は室町時代に始まるらしいので、そういう意味ではとても重要な時代だ。主従の関係も後の江戸時代に体制維持のための儒教の影響がなく契約関係に近いのも逆に近代的といっても良さそうだ。
争いの種はいつの世でも隣国との土地争い(大は大名間、小は大和の国の武装勢力間)と同族間での主導権争い(上は幕府から国の諸勢力まで)の2つのようだ。本書は興福寺の僧2人がそれぞれの立場で諸勢力が武力衝突を繰り返す応仁の乱という時代に、自寺の勢力下の大和地方の諸豪族の力の拡大に苦慮しながら特権を維持しようか画策した様子を描いただけとも言える。

応仁の乱についての記述も結局のところ幕府の足利氏内の将軍職争いと幕府管領の畠山氏内の総領争いがこじれた結果というこれまでの説を超えているようにも思えなかった。ただ、室町幕府が全く機能しなかったわけではなく畿内という限定された地域とはいえそれなりの統治機能は果たしていたことを明らかにしていた。これによりこれまで私が持っていた室町幕府への偏った見方を改めさせてくれた。

人名や土地名を覚えるのが苦手な自分には、一族で似たような名前が多いのと、よく知らない大和(奈良県)の地名が随所に出てくるため、応仁の乱の歴史的な流れを理解するのにとても苦労した。

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