mixiユーザー(id:2445139)

2020年03月30日22:51

35 view

志村けん 死去に伴い昭和コメディについてしのぶ

いきさつはあれど、志村けんが死去した。
昭和の一時代を築いたコメディアンだ。
なぜ昭和かといえば、彼のコメディアンとしてのピークは
昭和にあったからと分析している。
すでに彼の笑いは正直いって、平成では受け入れられなかった。
笑いの種類が昭和から平成になって、変わってきたのだ、
彼の笑いでは平成に受け入れられなかったのが正解だと思う。
それは志村けんだけじゃなく、とんねるずもしかり。

それはそうと、志村けんはドリフターズの一員である。
ドリフターズもいかりや長介死去後は、その形を成していなかった。
やはりドリフターズは5人いて、ドリフターズであって
一人欠けてしまってもドリフターズの笑いは作れない。
同時に、年齢の高齢化もある。
どうも、いかりや死去後は皆老齢で、若者にうける笑いは
作れなかった。
最年少である志村けんですら、ドリフターズでは難しかったようだ。
志村けんの笑いと、ドリフターズの笑いが違ったからである。
志村けんを主体に考えれば、他のメンバーが足かせになる。
しかし当時の志村は、他のメンバーを足切りせず、
ドリフターズとしての笑いをテレビで提供した。
全員集合リアルタイム世代は見たが、若い世代には
受けなかったのも確かだ。

いろいろ言われてはいるが、志村はいかりやのかばん持ちからはじまった。
ドリフターズには恩義がある。
カッコイイ言い方をすれば、恩義を全うした訳だ。
我々は他人だから本当の事は分からないが。

さて、昭和の笑い、ことドリフターズはコミックバンドである。
植木等、ハナ肇らクレイジーキャッツもコミックバンドであった。
藤田まこと、白木実のてなもんや三度笠。
伊東四朗、小松政夫。
第一次、第二次漫才ブームなんかもあった。

ドリフターズの生き残りと言ってしまっては言葉が過ぎるが、
残されたメンバーが死んだ時は、昭和のコミックバンドの笑いが
終わる時だと思う。
この平成の終焉、令和の時代にコミックバンドは受け入れられない笑いでは
ないかと思う。
グループコントの終焉だと思う。
確かにテレビくらいしか夢中になるものがない時代、
かじりついて、本当に面白かったのかどうかは分からないが、
放送される時間になれば、テレビにかじりついてみていた時代の申し子、
ドリフターズ。
そういう時代ではきっと今はないのだと思う。

そうそう。
クレイジーキャッツ、植木等のかばん持ち、小松の親分さん、
その親友、伊東四朗。
この二人が死んだ時、本当の意味での昭和の笑いが無くなる時だと思う。

笑いっていうのは、やはり時代によって変わるもの。
それは社会のセンスの問題だから仕方がないと思う。
ドリフのDVDを見ればそれはそれで面白い。
きっとそれはドリフの全盛期だったからである。
しかし最近の志村けんの笑いは、笑えない。
殿様になり過ぎたのだ。
過去のドリフは笑えるのに、最近の志村は笑えない。
やっぱりドリフの全盛期のパワーは一人では出せないのだろう。

なんだかんだ言って、
ドリフのコントが一番好きだ。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年03月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031