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2019年12月07日11:29

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book『父の足跡を探る(シベリア抑留)』(私家本)

私の知人I氏から『父の足跡を探る(シベリア抑留)』(私家本)が送られてきた。彼は私より8歳下で、高校時代にベトナム反戦市民運動に関わった世代であり、お父さんのシベリア抑留体験を調べていて、交流がある。以下は彼に送った読後の感想である。

 お父さんのシベリア抑留のあとを追った『父の足跡を辿る』を読み終わりました。
 「父の足跡、特に満州国奉天省の地方公務員時代から在満州邦人の根こそぎ動員による徴兵・敗戦捕虜・シベリア抑留・復員を辿ることは、アジア・太平洋戦争の時代を辿ることになる。父の足跡を辿り一遍の文章にしたいと想い始めたのは、40年近い前のことになる。」と「はじめに」で書かれていますが、書き上げられて「ほんとうにご苦労様、お疲れ様!」と思います。
 お父さんが辛酸をなめられたシベリア抑留の足跡を当時の文書に探し、明らかにすることは大変難しいことだっただろうと、私が中国で戦死した父の足跡を調べた経験と重ね、よく分かります。そんなことを思いながら読みました。
 次の箇所で、私の送った情報がその後の追跡に役にたったと知り、「機縁だった!」とうれしく感じました。
 「履歴書と調査票で、第15269部隊に入隊し、フルムリ地区収容所に収容されたことは分かったが、その間が繋がらず、7カ月間、停滞を余儀なくされていた。そんな時、「反天皇制市民1700」と題する小冊子が知人のM氏から送られてきた。(中略)M氏が掲載した文中に「級友の父の所属部隊に関する情報が『国立公文書館アジア歴史資料センター』で公開されている」と書かれており、もしかしてと検索してみた。あった!やっと見つけた。(中略)公開されている帝国陸軍部隊調査表によれば、父が入隊した第15269部隊は、第127師団工兵隊 通称号・英邁第15269部隊のことであった。」
 そこからシベリヤ抑留後のお父さんがたどられた経路、経緯を明らかにされたことに感嘆しました。それと具体的でこまかな事実(ディテール)にこだわって調べられたスタンスにも共感しました。それでいうと、私の個人的関心ですが、戦中の京都第一工業学校の「満州修学旅行」の記述に大変興味を持ちました。
 調査の最後に佐世保引揚援護局跡(現在はハウステンボス)を訪ねておられますが、もうすでにそこには当時の痕跡が何もなく、「南風駅で列車を待つ。黄昏のプラットフォームで、思い浮かべてみる父ら引揚者は、やはりぼんやりしたもので終わった」と結ばれています。この箇所は一番心に残りました。
 私の場合も、父の戦死に関するさまざまな文書を探りましたが、父が動員された部隊の経路、経緯は探れても(それすら不明の部分がありました。)、「固有の父の姿」はありませんでした。また私は父の戦死と重ねて、中学生時代の「靖国遺児参拝」を調べましたが、その当時の「自分自身」(アイデンティティー)とは何だったのかつかみきれませんでした。私も「自分自身とは何か」もふくめて「ぼんうやりしたもの」に終わっているのではないかと思います。そこを問いかけることが私の課題だと考えています。
 はじめての私の本を出版後、次の課題を設定して、「反天皇制市民1700」誌に書き続けるつもりです。次のテーマは「靖国遺児集団参拝 戦前と戦後」です。今後ともおたがいの状況の交流、情報交換をよろしくお願いします。
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