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2021年04月15日15:30

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愛すべき力士像〜【追悼】元関脇・麒麟児

「一番最初に好きになったお相撲さんは麒麟児」「相撲はあまり詳しくないけど麒麟児は好きだった」こんな言葉をいままで何度となく聞いてきたような。回転のいい突き押しで上位陣にも真っ向勝負、常に全力投球で礼儀正しく真摯な土俵態度、すべてが素人目にもわかりやすく、まさに大衆受けする昭和の人気力士だった。

芸術文化の分野においては、こういう明快で大衆になじみやすい存在をポップという(ここで話を日本のバンド“KIRINJI”に持っていく意図はない)。力士を形容するにはふさわしくない言葉だけど、元来の意味は弾けるとか飛び出るとか。彼の回転のいい突っ張りはまさにポップ、この言葉がふさわしい力士こそ彼ではないかと思った。

ずいぶん前の春場所でのこと。府立体育館の切符売場担当の彼(当時北陣親方)に、ウチの母親がチケットに関してけっこうややこしい質問をした。ところが彼は終始にこやかな顔つき、明瞭な発声にてこのうえなく丁寧に対応した。角界好きにはわかると思うけど、無愛想で知られるあの窓口でのこの応対はかなりのレアケースと言っていい。

解説者としての彼に記憶のあるかたは、このときの応対ぶりにまったく異存はないはず。そう、相撲っぷりだけでなく、すべてにおいて親しみのある愛すべき存在、大相撲人気の下支えという意味では貢献度大だったと思う。それにしても67歳とは若すぎる、天国の角界にまたまた好取組が増えてしまった。謹んでお悔やみ申し上げます。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月15日 17:35
     この人といえば、れいの天覧相撲が語り草になってますが、富士桜の方は73歳で今も健在であることを考えると、やはり67歳というのはいかにも若すぎる旅立ちでしたね。それにしても、両者の年齢差が6年もあったとはちょっと意外でした。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月15日 18:52
    富士桜との激しい突っ張り合いはいまだに語り草ですね。私もよく覚えています。記憶に残る、稀有な力士だったと思います。花のニッパチ組、北の湖や若三杉、金城などと同い年で土俵を盛り上げてくれました。
    ご冥福をお祈りします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月15日 22:00
    一行目がまさに僕です。
    そして今も一番です。
    礼儀正しいところは小学生の僕も気づいていました。
    「千葉県柏市出身 二所ノ関部屋」という呼び出しの声が、今も記憶に残っています。ご冥福をお祈りします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月16日 00:16
    > mixiユーザー 元力士も短命ではなくなったなあと思った時期があったんですが、北の湖の早逝あたりからやっぱりそうかと。おそらく健康的にダイエットしたのでしょうけど、花田光司氏をはじめ現役時代の面影がまったくなくなっている親方を見かけますね。現役時の四股名でいうと玉乃島とか旭里とか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月16日 00:21
    > mixiユーザー これで存命のニッパチ組は二代目若乃花と大錦だけになりましたね。七人の侍とかクレイジーキャッツとか太陽にほえろ刑事とか、特定の集団における存命は誰々などとよく言いあいますが、全員67歳の集団でこの現状は悲しすぎますね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2021年04月16日 00:25
    > mixiユーザー やっぱりそうでしたか!そうかと思って一行目に引用しました。
    それはショックでしたね。元力士のなかでも長生きしそうなタイプに思えたのですが。元気だったらおそらく協会退職後も、北の富士みたいに解説陣に加わっていたと思います。

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