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2021年01月17日15:30

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1.17 この日を語り継ぐために 2021

あの日から25年の月日を重ねた昨年のきょうの日記には、『1945年の敗戦の年から25年後には大阪万博開催、そしてその25年後に阪神・淡路大震災。禍事(まがごと)・吉事(よごと)・禍事と交互にきたから、ことしは吉事の番、それはまさに東京オリンピックだ』みたいな、まことに能天気なことを書いていた。

ところが実際この節目にやってきたのは新型コロナウイルス、とんでもない大禍事だったということ。ことしも性懲りなく、あの日の個人的記憶を綴った2007年の拙日記を貼りつけます。そう、いつのまにか震災の日から下記の日記を書いた年月の長さより、貼りつけた後の年月のほうが長くなってしまいました。

2007年1月17日のmixi日記
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12年も経つとだんだん風化していくのがわかりますね。ニュースの扱いも、関西ローカルでさえ以前ほどではないし。戦争を知らない我々は悲しみの共通体験みたいなものが少ないから、語り継いでいく必要があると思います。

その日前後の事をあえて感情的ではなくドライに書きます。もっと悲惨な目に遭っているかたがたくさんいるのは百も承知です。不謹慎かもしれません。でも事実を歪めたくないからそのまま書きます。

○三連休明けの朝だったので、その日はあまり眠れず、その瞬間も半分起きていた。マンションの12階に住んでいたので揺れは相当だったが“止まらぬ揺れはない”と妙に冷静でよつんばいのままじっとしていた。

○前夜、友人たちが遊びに来てすき焼きをした。食器類をしっかり乾かすためにあえて食器棚の手前に置いたので、食器類は全滅した。

○鉄道が動いてないと聞いて、ほとんど寝れなかった私は“これでもうしばらく寝れる”と思った。

○当日夕刻のなんばWALK、テレビの地震報道をサカナに酒を飲もうとするおっさんたちで居酒屋は満杯だった。職場にいても仕事にならず、一杯ということだろう。

○その日の大阪新聞(夕刊紙)は4ページだけ。思いっきり引き伸ばした写真数点だけで記事はなかった。

○元同僚S君が犠牲となる。彼は約1年前、父親の会社を継ぐために退社し、修業の毎日だった。自宅の芦屋旧家が全壊、S君と父親(つまり社長)が犠牲となり、母親と妹は助かった。
彼の安否を彼の会社に確認し、その悲劇を聞いて、みんなに伝えたのが私だった。こういう時、ドラマなどでは受話器を持ったまま目をつぶってうなだれて首を左右に振るのがおきまりのパターンだが、そのとき私がどんな行動をとったか一切覚えていない。S君が退社前、若手だけでスキーに行った時の写真があり、日付をみるとちょうど1年前の1月17日だった!

以上、ありのままの事実です。
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私にとっては読みつくした拙文にもかかわらず、 毎年のように当時の光景がくっきりとよみがえってきます。毎回マイミクのかたから当時の記憶等をコメントのかたちでいただくのですが、非常に詳細で貴重な文章が多く、その重たさになかなかご返事ができません。あらかじめお許しいただき、ことしもよろしくお願いします。

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