難波で生まれ育った亡き母親が野村克也の大ファンだった。当時の住まいからごくごく近所にあった大阪球場には2つ上の兄、つまり私の伯父によく連れていってもらい、南海ホークスの若きスターに声援を送ったという。やがて大阪ガスのOLとなった母親は、昭和34年ホークス日本一の御堂筋パレードも、仕事をサボってオフィスの窓越しにずっと眺めていたということだ。
なので後年野村が公私混同(愛人騒動)してホークスを追われたときも「男やったらそれくらいのこと誰にでもある!」とかばっていた。これは母親にしてはとてもめずらしい発言、後にも先にもこのときしか聞いたことがない。野村なきホークスに興味をなくした母親は、鋭ちゃんと道上さんの影響で阪神ファンに。なので野村の阪神監督就任にはやたらと喜んでいたのを覚えている。
ふたたび時を戻すと、母親はその御堂筋パレードの前年あたりにお見合いをしている。そしてその相手は年齢こそ違え野村克也と誕生日が同じだった。この事実は見合い相手を生涯の伴侶とするさいの、微々ながらの加点要素となったはずだ。もちろんその見合いの相手とは私の父親。つまりいま私がここに存在しているのは、多少なりとも野村克也のおかげでもあるのだ。
やがて母親の息子は中学生となり、ホークスのファン感謝デーに出かけた。その日最後のイベントは選手サイン会、息子は母親を喜ばせようと思いファンブック片手に野村を探すも、江本や門田ふくめそこに主力選手のすがたはなかった…残念。野村克也さん、安らかにお眠りください。そしてできることなら天国のどこかにいる母親にサインしてやってください。
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