まもなく1年、巷にはボウイ関連本・映像そして音源があふれている。せめてこの10分の1でもあの10年間におよぶ空白の時期にふれることができていたら…なんて思うけどまあそれはしかたない。もう何度も書いているけれど、ボウイが遺してくれたもの、私にとってはこの京都の片隅にひっそりとたたずむ静かな寺院「正伝寺」がいまはもっとも大きな存在になっている。
オフ会の女性メンバーに聞いた話。彼女がこの正伝寺を訪れたとき、セレブっぽい外国人観光客を連れた京都在住のフランス人ガイドと話す機会があり、おそらく我々よりずっと京都にくわしい彼にとっての隠し玉的空間がこの正伝寺、特別なひとを案内するときだけここに連れてきていると。ちょっと強引だけど、欧州人だけに惹かれるなにかがここにあるのかと解釈してしまう。
全体的にあまり商売っけのない、素朴きわまりないお寺なんだけど、とりわけ山門から本殿に向かうなだらかな坂道になったアプローチがたとえようもなく美しい。どこかあの苔寺の庭園(ボウイ楽曲「モス・ガーデン」がインスパイアされた場所)に共通した風情があり、この凛とした空気・色合い・匂いがボウイのお気に入りだったのかと思いをはせたりする。
先週の朝日新聞・夕刊にもとりあげられたように、徐々にその名前が知られてきているみたい。いつまでも個人的な隠し玉にしておきたいけれど、ぜひともみなさんに訪れていただきたいと思う気持ちもある。これからの季節、雪化粧をほどこした庭園もなかなかのもの、私にとってことし最大の出会いがこのお寺、あらためてボウイにはありがとうと言わずにはおれません。
Boowy の真実のファンのため息が聞こえてきそう。
速水さんにとっては、 ボウイの愛したお寺はボウイと、
交信できる特別な場所なのですね。
そのお裾分けを頂きたく、
いつか必ず訪れようと思います。
珍しく午前中に配信の日記をありがとうございました。
ボウイが天に召さなかったらたぶんこのお寺のことを、情報・知識として知ってはいても訪れることはなかったと思います。数多くある京都のガイドブックでもほとんど無視されていますし。なのでこれからはお寺巡り好きのかたの感想を聞きたいと思っています。
人が好んだものや事柄はその人表していることが多いですね。
ファンは、一人一人違ってひとくくりにはできないと思います。
私もグレングールドで同じような経験をしていますので、
お気持ちはよくわかります。
人を愛したり、好きになるのは難しいことですね。
ただの執着だったり、自己投影。
私の場合はグレングールドの株を買った感じがしています。
その心は?
今じゃゆうゆう利子で暮らせる。
デヴィッド・ボウイの場合はどうなのか、それはこれから少しずつわかってくるかも。
エンターテインメント性が強いだけに。