それで別に
からかったり
にやにやしたり
しやせぬものを。
このことでは家族に大いに失望しましたし、軽蔑しました。
自分にも一報あって、家族みんなでお祝いするものだと思っていましたが、知らされず。今現在も知りません、それが何年生の時だったのか。
「自分は信頼されていないんだな」と思わされました。
これは象徴的なエピソード。このことに限らず、認められていないなと痛感することは度々でした。例えば、「家族として何らかの意思決定を下さねば」みたいな局面があったとして、きっと自分は、家族の一員として協議の場に呼ばれはしません。
これが実家を出ようと思ったキッカケのひとつでした。
(#「子供の頃のトラウマ」シリーズ)
(#心理学/精神医学)
いつもカヤの外にいると思う人たち - イレーン・サベージ, 昇, 沢木
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