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2019年11月17日17:02

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アクイレイアとトリエステ

7月6日

今夜はトリエステに宿がとってある。トリエステはイタリアの東の端に位置し、スロヴェニアとの国境に近い街だ。月曜日はサルちゃんが仕事なので明日の日曜にウィーンに戻る予定だ。その前にもう一つ私の我儘を聞いてくれて、トリエステから西に45キロほどのところにあるアクイレイアにも連れて行ってくれることになった。

アクイレイアは今でこそ忘れ去られた町ともいえない田舎の村だが、ローマ帝国がキリスト教を容認したミラノ勅令の直後に建てられた立派な聖堂がある。”アクイレイアの遺跡地域と総司教聖堂バシリカ”として世界遺産になっている。4世紀のモザイクの敷石が今に残っている大変貴重な聖堂である。5世紀にはフン族により破壊されその後再建など変遷を経ながら今に至っている。
さて、この場所に自力で行くには電車でチェルビャーノ・アクイレイア・グラッドまで行き、そこからバスがあるんだか、ないんだか、おそらく駅でタクシーを呼んでもらうしか方法はないと思われる。そして帰りはどうする、と大変な労力を要することになるのだ。

車は順調に走り畑や野原の中にいきなり立派な聖堂とそびえ立つ鐘楼が現れる。大理石の柱やローマ時代の遺跡もそこここに見られる。カフェのひとつもないような寂しい町だ。
バシリカに入り、しばらくして目が慣れてくると、夥しい数のモザイクが広い床一面を埋め尽くしている。最初は魚の群れる大海原のようであり、次に様々な動物や鳥が遊ぶ草原のようでもあり、今までに見たこともないような不思議な世界に引き込まれていった。これまでに見てきたビザンチン聖堂のモザイクは旧約や新約聖書からの場面をきりとったものがほとんどだったのに対して、この自由闊達さはどこからきたのだろう。中には旧約からのヨナが大きな魚から吐き出されるシーンなどもあるのだが。そういえばヨルダンはネボ山のモーゼの記念聖堂にはアフリカ色の濃い動物や人物のモザイクがあったし、マダバにはエルサレムの町の地図まであったなあ。いつごろ製作されたものだろうか。まだ正教もカトリックもないキリスト教初期の時代ということなのか。
心底この場に立てることができて幸いと思う。サルちゃんに感謝、感謝。

車は来た道をトリエステに向かう。トリエステといえば、22歳の若き私は人生最初の海外旅行でこの土地を訪れている。ナポリを出港したキャンベラ号はイタリア半島を周り、アドレア海に入るとヴェネツィアに寄港し、トリエステにも寄ったはずだ。しかしながら何一つ覚えていない。丘の上にある城で撮った写真に赤白のストライプのTシャツを着て笑っている自分がいるのだが。
”トリエステは坂の街である”、と須賀敦子が書いている。翻訳家、随筆家でのちに聖心女子で教鞭をとっている彼女の文章は、日本語は、気品があって美しい。彼女の描く愁いを帯びたミラノ、ヴェネチア、トリエステは格別だ。短い滞在だったが、須賀敦子読後のトリエステはいろんな表情を見せてくれた。たしかに大通りは海沿いに延び、海から丘に向かって坂道を登っていくと海からの風を感じる。ハプスブルグ時代の大きな建物が続く街並みはより北の匂いがする。ちょっと寂れたドイツあたりの街の印象だ。

夕飯を食べに行ったレストランはもちろんイタリア風でプロセッコ(白の発泡ワイン)と、海鮮4種の前菜とか、何を頼んでも全部が美味しかった。ワインのお替りをしようとしたとき、いきなり嵐が、強風に大粒の雨がやってきてお店の中に飛び込んだ。店員さんは慣れた様子でてきぱきと動いている。お店の中は雨宿りの人でいっぱいになり、デザートはテイクアウトにして、娘夫婦との最後の夜は過ぎていった。




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