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2020年04月04日22:07

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Fukushima50〜7〜奇跡の一本松

昨夏訪れたときはまだできていなかった陸前高田の高田松原津波復興祈念公園。ここはもう一度行ってみたかった場所だ。

当時は気仙沼から大船渡線で行った。とは言っても鉄道は復旧できておらず、線路を取っ払って舗装したところにバスを走らせるというBRTと呼ばれる方式だ。

バスの時刻もあってゆっくり見ることはできなかったが、今回は車であったため各所で車を止めて見てきた。

まず国道45号線を下り陸前高田の街が見えてくる前に目の前に飛び込んでくるのは陸前高田市立気仙中学。海沿いに立つこの校舎は外壁もぶち抜かれ校舎の手前から向こうの景色までが見える。

更に進むと復興祈念公園が見えてくる。かつてあった道の駅の隣の広大な土地に造られたものだ。設計も素晴らしく広大な芝生の先にある堤防の上に献花台が設けられ左右にも長く歩けるようになっている。右に歩いていくと奇跡の一本松がある。まだ近くまでは降りてはいけないが、津波に破壊されながらもこれが松の木を救ったと言われるユースホステルの姿もそのままだ。

公園内に建つのはお土産などを売るスペースとしての道の駅と震災の状況を写真や壊れた消防車や車、映像などを展示する伝承館との2つからなり、その間を結ぶ通路から防波堤までの長い道が気持ちを引き締める。

奇跡の一本松はもう死んでいる。海水が流れ込んで枯れてしまったのだ。今は特別な処理が施されモニュメントとして、そして復興の証として残っている。

ボクのように直接被害もなく、また知り合いにも被害がなかったものからすればなんでも歴史遺産として残すべきだと言う人も多い。だが実際にあの気仙中学のような無残な校舎を残すということはそこで犠牲になった人たちの関係者からすればある意味忘れたいことを永遠にわすれさせないものでしかない。

風化させないということといつまでもその傷を引きずるということは別だ。ボクはこれまで福島を巡りながら復旧がまったく進んでいないということに疑問を呈してきた。しかし陸前高田市を見ると復旧は進んでいる。2年前に買ったボクの車に搭載されたカーナビはここを右折というところに道路はなく、ボクが走る道路はその画面に表示されない。

新しい道ができ、被災した道路はもう今はない。病院やショッピングセンターは高台に移され、新しい宅地用の区域が開拓されている。あの気仙中学を通る国道45号線も新しいと道路が建設中だ。

あれから9年。決して忘れてはならないが、いつまでも悲しんでばかりでは生きていけない。難しい問題だと思う。

実はもう死んでしまっている奇跡の一本松。植えられたのは江戸時代だと言われる。明治時代にも昭和でも三陸津波はあった。チリ地震でも津波はやって来た。それらもすべて耐え生き続けた美しい高田の松原はこの奇跡の一本松を最後に力尽きた。しかし、これをモニュメントとして高田松原津波復興祈念公園を残し、後は新しい街として復興していってほしいと思う。

悲しい思い出は壊してしまうことも必要なのだろうと思った。

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