こういう「なにかの時に」であるとか、明確化しにくいロスも含むのが日常というもので、そこをカバーするのが「町の商店」だったのだ。
ひとつこの場合で例を言えば、町の蕎麦屋は「店でも出前でも値段が同じ」
ただし出前持ちの兄ちゃんは給料が必要でもあれば、食べ終わった器を引き取りにまた来てくれもする。
そうしたコストも「なにかの時に」を含んでの「値段」だったんだよ。
それらを破壊することでの「コストカット」「低価格」により、なにもかもチェーンのデリバリーにはなったのだが、こうしてコロナによって「出歩いたらヤバイ」になったら、そのチェーンだけでは物足りなくなったんだね?
で、チェーン以外の普通の店のそれも、家まで持ってこさせたいと。
しかしそこでも、「昔のように」の回帰が起きるより早く「ちいっとばかしズル賢い奴」が先手を打った。
店側には負担を、配達人にも負担を。そして元締めは儲かるだけ。
「住む町のインフラ」に価格競争を持ち込んではいけないと俺は思うな。
それをしたから街から本屋は消えた。ガソリンスタンドも「ちょいとそこまで行けば」の場所から消えた。
それは効率的かい?便利かな?
ちょっとはそんな事も考えてみないか?
■飲食店は「手数料38%」徴収される…「ウーバーイーツ」栄えて街が滅ぶ、自治体が対抗策
(Business Journal - 09月14日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=6231610
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