日常の何事につけても
「右見て、左見て、前見て後ろ見て」
「みんなと同じだったときに初めて安心して動く」
って人の場合、これに簡単には従えないだろう。
なにしろ気にしてるのは「八百万の神々への無作法」ではなく「近所の知人の目」なのだから。
神道の中核の一つである出雲大社が言ったということは、そーゆー人にとって重大事じゃないんである。
迷信の方を取り、神職の言うことを黙殺するというのは、じつは珍しくない。
だって日本の様式と無関係な高島易断(易、だよ。大陸の占い)で、冠婚葬祭の日取りを決めてるじゃん。
迷信なので市役所なんかのカレンダーには書いてないんだよ、あの「さんりんぼう」とか「大安」とかは。
そーゆーのがポイントじゃないのよねえ。
ただただ、周囲を見廻して「みんながしてる」に合わせてる。
とゆーわけで、たぶんこの風俗は(風習とは言わないからな)治らないと想います(笑)
■お賽銭 5円だと「ご縁がある」は根拠のない語呂合わせ 出雲大社「祈りの心はお賽銭の金額によって左右されない」
(BIGLOBEニュース - 01月06日 14:38)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=258&from=diary&id=5926216
ログインしてコメントを確認・投稿する