mixiユーザー(id:2388937)

2019年10月11日07:49

173 view

人間は感情だけの動物なのかもね。

台風の(災害の)話なのに、どーしてもこんな題しかつけられなくなった。

昨夜、母上をかなり粘り強く説得したのだが、やっぱり避難はしないと言う。
それは単にそうしないだけではなくて、最寄りの避難所もろくに調べないって意味だ。
(まあ俺の方では知ってるけど)

飛んできた硬いもので窓が割れ、雨風が吹き込んできても、台風の真っ最中にどうにかする方法はないだろう。
そうなってからの避難所に、たぶん車では辿り着けない。だからって歩いていくのは老人にはほぼ不可能で。
でも、そうなってしまってからなら、たぶんこういうのだ。
「なんとかしろ。車があるだろ。乗せていけ」

割と、ね、「読める」んだ。こういう反応は。
理由は、母上(のようなタイプ)が、「ものを考える」という事を苦手にしていると知ってるからだ。
その時というのか土壇場というのか。
予測というのか。計画というのか。
そういうものが考えられない人っているものなのだ。
そういう人は、日常の決めごとをするとき、実は「感情で選んでる」の。
もしもの事態を考えるとき、そういう人は「それが自分の心の琴線にどう触れてきたか、その触れ方の度合」で、テキトーにやるか熟考するかを決めるんだ。
大丈夫だと判断したから逃げないのではない。
危険だと「想像できない」から何もしないのだ。

イスラム国や、以前の湾岸戦争であるとか。他県の災害のニュースとか諸々。
テレビの中のそれは「テレビの中で起きること」になっていて、自分はいつでも傍観者。いつでも他者なのだ。
…「琴線に触れない」から。

しかしシノスケが「これさえ食べれば!ガッテン!」と言ったなら。見たこともない医者が「大変なことになりますよ」と言ったなら。
その時はサバ缶を買い集め、タマネギばかりを毎日たべるようになる。
…「琴線に触れた」からな。

もとからペットボトルの水など備蓄してあるから、昨日はなにも買えなかったけど困りはしない。
どのみち断水が一週間以上続くなら足りなくはなるが、それまでには行政が動くだろうし、なんなら麦茶とか買い足せばいい。雨水をろ過するサバイバルストローすら持っている。
でもこういう人のそれは、そういう事じゃない。
「一日や二日、断水したって、あたしはいつもどおり煮炊きをしてコメを食い、皿を洗うために」水でなければならないわけだ。

「私の日常は壊れない」
うちの母上のような人はそう思っている。
危険は「テレビの中のこと」と受け取っているからだ。

考えることはせず、危険が目の前に現れるまでは油断をして過ごし、「自衛隊など無駄で憲法違反で」と言い、避難を勧める俺には「この臆病者が」と罵倒を浴びせ。

そしてその危険が現れたら、こういうのだ。
「なんで自衛隊はいの一番にウチへ来ないのだ」
暴風と散乱物で散らかった、とても走れない道路を指さしてこういうのだ。
「あんたの車で市役所とかへ行ってちょうだいよ!今すぐ!」
考えていないから。
目の前に現れてから、「その場で」そしてそこでもまだ「感情で」言うんだろう。


「普通の人」って、こういうものだ。



非常に強い台風、本州初上陸か
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5821487
2 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031