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2021年10月20日14:01

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「染付 蛸唐草文 壺(一対)」

 今回は、「染付 蛸唐草文 壺(一対)」の紹介です。


写真1: 壺の立面(左:壺Aの立面  右:壺Bの立面)

写真2: 壺Aの底面

写真3: 壺Bの底面


生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代後期
サ イ ズ : 壺A・・高さ;20.8cm 口径;11.4cm 胴径;19.2cm 底径;9.6cm
       壺B・・高さ;21.4cm 口径;11.0cm 胴径;19.0cm 底径;9.2cm



 なお、この「染付 蛸唐草文 壺(一対)」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところですので、その時の紹介文を、次に、再度掲載することをもちまして、この「染付 蛸唐草文 壺(一対)」についての紹介といたします。




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              <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー212 伊万里染付蛸唐草文壺一対    (平成28年1月1日登載)                 


 よくある形の壺である。もともとは蓋があったようだが、蓋は既に欠損している。

 4年程前に壺Aを手に入れ、その1年後に壺Bを入手したものである。

 壺Bを入手するに際しては、既に1年前に入手した壺Aと合わせれば一対になるかな〜と喜んだものだが、実際に壺Bを家に連れ帰って壺Aと対比してみたら、壺Aの裾の方には蛸唐草文以外の文様があるのに対して、壺Bの方にはそれがない(それがない代わりに、高台の外側に当たる部分を帯状に染めている)ことを知り、ガッカリしたことを記憶している。

 だが、大きさもほぼ同じようなものなので、厳密には一対にはならないが、一応、一対ということにしておこうと思う(~_~;)

 

     製作年代    高さ    口径      胴径      高台径
壺A: 江戸時代後期  20.8cm   11.4cm    19.2cm    9.6cm
壺B: 江戸時代後期  21.4cm   11.0cm    19.0cm    9.2cm 


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*古伊万里バカ日誌141 古伊万里との対話(蛸唐草文の壺)(平成28年1月1日登載)(平成27年12月筆) 


登場人物
  主   人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  蛸唐壺A (伊万里染付蛸唐草文壺)
  蛸唐壺B (伊万里染付蛸唐草文壺)



・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回の対話が正月になることに思いをいたし、多少なりともお目出度いものと対話をしようと考えたようで、「押入れ帳」をめくって当りを付け、吉祥文様が描かれた古伊万里を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。 

 

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主人: 今日は元旦だね。まずは、おめでとう。

蛸唐壺A・B: 新年おめでとうございます。

主人: 元旦なものだから、お目出度い古伊万里と対話をしようと思って、お前達に登場してもらった。

蛸唐壺A・B: どうして私達はお目出度いんですか?

主人: 蔓草の生命力を発展に結び付け、一種の吉祥文様としてみているからだね。つまり、生命力が強く、途切れることなく蔓をのばしていくところから、繁栄とか長寿などの意味があるととらえ、縁起のいい文様とみるからだね。また、蔓(つる)は音読みではマンだから、それを「万」と読み替え、それが帯のように連なっているところから、帯は音読みでタイなので、タイを「代」と読み替え、両者を合わせると「万代」となるところから、一族の万代の繁栄とか長寿の意味を持つものとして、唐草文様は、お目出度い文様ということで大変に好まれたようだね。 

蛸唐壺A・B: わかりました。でも、何か、屁理屈とか語呂合わせみたいですね(~_~;)

主人: だいたい、文様のいわれみたいなものはそんなものよ・・・・・。
 ところで、唐草文様の中でも、お前達のような蛸唐草文は、ひところ、大変な人気で、実力以上に評価され、値段も馬鹿みたいに高かったな。それは、古伊万里の人気が高かった頃で、蛸唐草文はその文様の描き方で製作年代がわかるということもあってか、異常なほどの人気があったんだよね。

蛸唐壺A・B: ご主人は、私達を高く買われたんですか?

主人: いや、高くは買ってないよ。
 だいたい私はヘソ曲がりなものだから、皆が「蛸唐はいい、いい」と言うのを聞くと、逆に、「何だあんな物」と反発し、「意地でも買うもんか」と思ったものだよ。もっとも、高いから買う気がしないというだけで、やはり、安けりゃ買ってもいいなとは思っていたがね。
 ところが、4年程前、蛸唐壺A、お前に巡り会った。お前の値段を知って一瞬驚いたね!  「ええっ! 蛸唐は安くなったということは知っていたが、こんなにも安くなったのか!」と思ってね。そうなると、何か、お前が可哀想になってね。それでお前を買ったんだ。
 ところが、ちょうど1年が経った頃、今度は、蛸唐壺B、お前と巡り会った。

蛸唐壺B: 私のことも安く買われたんですか。

主人: そうね。高いといえば高いし、安いといえば安いかな・・・・・。

蛸唐壺B: 何かはっきりしませんね。

主人: そうだね(~_~;)  というのは、値段としては蛸唐壺Aよりも高かったんだよ。ところが、蛸唐壺B、お前には首に大きなニューが2本あるだろう。普通、疵物の方が無疵のものよりも安いはずなのに、それが逆なんだものね。疵物のお前の方が無疵の蛸唐壺Aよりも高かったんだよ。そんな訳で曖昧な返答をしたわけさ。
 そんな事情もあったが、まっ、お前を連れ帰れば、蛸唐壺Aとペアになるかな〜、と思って、値段については目をつぶって、買うことにしたわけさ。しかし、家に帰って、蛸唐壺Aと比較してみたら、ちょっとガッカリしたね。大きさは、両者ほとんど同じなんだが、蛸唐壺Aの方には、裾の方に蛸唐草文以外の文様があるんだが、蛸唐壺B,お前にはそれがないんだものね。

蛸唐壺B: それは残念でしたね。厳密にはペアになりませんものね。

主人: そうなんだ。そんなことで、お前のことを安く買ったのか、高く買ったのか、いまだにわからないわけだよ。

蛸唐壺A・B: ところで、私達はどんな用途に使われたんですか。

主人: 私は、梅干し入れに使われたんではないかと思ってるんだ。
 梅干しについて、ウィキペディアで調べてみたら、

 梅は中国の原産である。本来梅干しは梅酢を作った後の副産物であり、利用法としてはこれを黒焼きにして腹痛の治癒・虫下し・解熱・腸内の消毒の効用を目的に、食用よりもむしろ漢方薬として用いた。
 平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っている。
 戦国時代になると梅干しは保存食としてだけではなく、傷の消毒や戦場での食中毒・伝染病の予防になくてはならないものとなった(陣中食)。合戦中の休息に梅干しを見ることで唾液分泌を促進させ、息切れ、つまり脱水症状を防ぐ目的にも使われた。梅干しは戦略物資の一つとなり、武将たちは梅の植林を奨励した。これは現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っている。
というようなことが書かれていた。
 当然、梅干しは江戸時代においても大切なものとして扱われたわけで、「将軍と鍋島・柿右衛門」(大橋康ニ著 雄山閣 平成19年9月15日初版発行)という本にも、鍋島藩が梅干しを将軍家に献上したり幕府要人に贈遣していたことが書かれていて、その際に用いられていた陶磁器の形にお前達が似ているからだよ。もちろん、お前達のような蛸唐草文の壺も使われていたようだね。もっとも、本来は蓋が付いていたわけだけれど、お前達の蓋は既に欠損しているけどね。
 ところで、現在では、梅の実は、紀州の南高梅が良いことで有名だけれど、江戸時代に人見必大という人物によって書かれた「本朝食鑑」という本草書には、豊後、肥前産が良いとされていたようだから、江戸時代には、肥前は良い梅の産地だったわけで、肥前の鍋島藩としては、梅干しを献上したり贈遣する意義があったんだろうね。
 なお、前掲書「将軍と鍋島・柿右衛門」には、

 佐賀藩は月次献上の中で将軍家献上や幕府要人への梅干贈遣を早くから行なってきた。この中で将軍家や幕閣中枢への梅干献上には陶磁器の壺を用いたが、18世紀前半の中で鍋島焼の7升入り染付大壺が製作され使われ始めたらしい。
 さらに18世紀後半の中でそれまで曲物で梅干を贈遣してきた他の幕府要人に対しても有田磁器を用い始めたことが明らかになった。
 このように、将軍家に献上する梅干壺は将軍家と幕閣中枢に対してのものは大川内山鍋島藩窯で作らせたが、他の幕府要人向け贈遣用の梅干壺は有田民窯に作らせるなど、重要性の度合いによって制作場所を決めたことがわかる。(前掲書220頁)
と書かれていて、有田民窯でも梅干壺を作る下地があったことが書かれているんだ。
 それで、もちろん、お前達が最初から梅干壺として作られたのかどうかは不明だが、私は、今後、お前達のような形の壺を「梅干壺」と呼称しようと思っているんだ。

蛸唐壺A・B: ?????
 「梅干壺」ですか・・・・・・・・・・
 どうもね〜・・・・・・・・・
 「梅干壺」というと、何か安っぽい感じがしませんか?

主人: そうかな〜〜〜〜〜

蛸唐壺A・B: 梅干しが大切だった江戸時代ならともかく、現代ではね〜。
 それに、こんな形の壺は、全国のどこの窯ででも作られていたんではないですか! 何に使用されたかはわかりませんよ!

主人: そうか・・・・・。やっぱり駄目か。初夢にでもならないかね〜。



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