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2020年05月30日19:00

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「20年史」以後の新潟交通から(第3回・70年代前半前編)

今回も、新潟県立図書館に所蔵されている社内報「月刊新潟交通」のうち、「新潟交通20年史」が刊行された1966年以降のトピックから独断と偏見で触れてみます。
で、今回は1970年代前半から。


【設備計画】
1971年度までは、毎年度の上期と下期に分けて設備計画が発表されており、バス車両の更新(新車導入)も上・下期に分けて実施されていたようです。1972年度以降は年1回の発表となっており、当年度の車両更新も一括掲載されています。
また、貸切車からの改造転用も引き続き実施されていました。
というわけで、各年度の乗合用車両の導入計画は以下の通り。

*1970年度上期
・いすゞAR30 28台(ワンマン、BA30の誤りか?そのまま記載)
・三菱MR410 8台(ワンマン)

*1970年度下期
・三菱MR410 15台(降車ブザーをチャイム化)
他、貸切22台とワンツーマン15台を多区間ワンマン化

*1971年度上期
・いすゞBA30 10台
・日産ディーゼル4R95 20台
・三菱MR410 10台
他、貸切5台とワンツーマン10台、ツーマン40台を多区間ワンマン化

*1971年度下期
・いすゞBA30 15台
・日産ディーゼル4R95 10台
・三菱MR410 10台

*1972年度
・いすゞBA30 25台
・日産ディーゼル4R95 16台
・三菱MR410 18台
他、貸切→ワンマン11台、貸切→ツーマン3台、ツーマン→ワンマン8台

*1973年度
・いすゞBU04D 28台(内バックアイカメラつき7台)
・日産ディーゼル4R95 15台(全車バックアイカメラつき)
・三菱MR410 27台(内バックアイカメラつき7台)
・他、貸切→ワンマン28台、貸切→ツーマン5台。うち8台は右ロマンスシート+左前向き1人掛けの長距離対応車

*1974年度
・いすゞBU04D 21台
・日産ディーゼルU20H 5台
・三菱MR410 21台
・他、貸切からの転用21台

mixi内全体向け「つぶやきのネタ」で、しばし使用している画像。
1987年7月の撮影です。
日産ディーゼルの4R95ですが、250-N(新22か250)だと1972年式でしょうか?
フォト



【新潟市内営業所の再編成】
1964年6月16日に発災した新潟地震では、業務諸機能に大きな被害が生じました。
特に被害が甚大だった万代地区には、出張所(のちの営業所)だけでも新潟第一・新潟第二・八千代橋の3箇所が設置されるなどほぼ「一極集中」の状態だったことが災いし、機能配置を見直すきっかけとなったようです。
ちょうど万代シテイの再開発計画が具体化するのにあわせ、営業所配置が見直されることとなりました。

まず1966年12月16日に入船出張所を新設。
1971年11月には、現在の西区青山に青山出張所を新設。
これにあわせ新潟第一出張所が廃止されます。

また、新潟第二出張所は1972年1月の組織改革で万代営業所と改称(1989年10月1日から90年代中期にかけ設置された万代営業所とは別)。その後、1974年4月27日に新潟南部営業所(当時は中央区紫竹山)の新設にあわせ廃止されました。なお、これにあわせ青山営業所を新潟西部営業所に、八千代橋営業所を新潟中部営業所にそれぞれ改称しています。

以降、1986年6月1日に下山営業所が新設(車庫から格上げ)されるまでの間、新潟都市圏の営業所は松浜・山ノ下・入船・新潟駅前・新潟中部・新潟南部・新潟西部・内野の8営業所体制で続きます。

で、上記の青山出張所新設当時、市内出張所別の乗合車両数はこんな感じだったとか。
青山84台・新潟第二87台・八千代橋99台・新潟駅前31台・山ノ下70台・入船60台(計431台)


【ガス車引退】
ご存知の方も多いと思いますが、新潟交通では1947年7月1日より、新潟県内で豊富に産出された天然ガスを燃料とする路線バスが活躍しておりました。当時、ガソリンも代燃用薪も戦時中に続いて不足しており、それに代わる燃料として天然ガスが使われたのです。
CNGバスが登場する遥か昔のことです。

自前で天然ガスを採掘したことで燃料コストはガソリンの1/6、木炭の1/3以下と大きく節減され、同社の戦後復興に大きく貢献しました。1960年には同社のバス車両の8割が天然ガス車だったそうです。

しかし、天然ガスの採掘に伴う地盤沈下が深刻な問題となり、国による天然ガスの産出規制が強化。またバス利用者が年々増加する中で、天然ガス車よりも馬力で勝るディーゼルエンジンの大型バスが求められるようになりました。このため天然ガス車は次第に姿を消し、1971年上期末の段階で在籍33台。そして本社〜八千代橋出張所間の連絡バスに使用された最後の2台(新2あ4044・4045)も、同年9月30日限りで引退しました。この日は最後の営業運行をという配慮から、浜浦町線の1往復に就役したそうです。なお除籍された2台のうち、4044は売却待ち、4045は長潟バス停(現・南長潟、当時の長潟線終点)の待合室に転用されたのだとか。


触れたいトピックはまだありますが、後編に回します。
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2020年05月30日 20:34
    最後の方の長潟バス亭
    2015年まで京王団地経由長潟の方向幕
    で運用されていた南部キュービックから
    かなり長い年月使用されていた?
    でしょうか?

mixiユーザー

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