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2020年05月06日19:38

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「20年史」以後の新潟交通から(第2回・60年代後半後編)

続きです。


【多区間ワンマンカー】
新潟交通におけるワンマン化は、1964年8月20日実施の新潟市内線5路線と急行バス新潟〜新発田線が第1号です。その後、1967年10月1日から整理券方式後払いでの多区間ワンマンカーの試験運行を開始し、翌1968年9月16日より本格実施に移行しました。

本格実施に伴い、オール前向きシート(右前2列・最後列前2列は2人掛け)の前後扉車36台導入に加え、整理券発行機の導入や自動放送装置・後扉部インターホン・車外照射灯もこのときから採用されたそうです。ちなみに自動放送装置は「ご乗車口は後です。ここでは整理券は要りません」の男声アナウンス。

最初に導入されたのは、小張の木(新潟駅〜女池〜小張木、S5の前身)・女池・弁天橋(現S6)・市場(古町〜中央市場〜日本軽金属、1985年廃止)の4路線。現在ならば新潟南部営業所の管轄になりますが、同営業所は1974年4月の新設。前身の新潟第二出張所(現在の万代シテイ付近、1972年1月からは万代営業所に改称)が担当していたのでしょうか。


【臨時バスあれこれ】
モータリゼーションが始まったばかりの新潟県は、まだバスの黄金期。
花見に海水浴に登山、お盆に初売りと、事あるごとに臨時バスが増発されたそうです。

例えば、1966年の海水浴シーズン。
・新潟〜角田岬 平日6往復・休日8往復
・巻〜角田岬 12往復(+定期ダイヤ7往復)
・白根〜角田岬 平日2往復・休日4往復(+同じく3往復)
・曽根〜角田岬 平日4往復・休日8往復(+同じく3往復)
・新津〜角田岬 2往復
・加茂〜角田岬 2往復
・巻〜間瀬 平日6往復(+同じく6往復)
・吉田〜間瀬 平日5往復・休日8往復(+同じく3往復)
・弥彦〜間瀬 平日4往復
・巻〜浦浜 平日7往復(+同じく5往復)
・新発田〜藤塚浜 平日5往復(+同じく8往復)
・新発田〜網代浜 平日4往復(+同じく12往復)
・村上〜瀬波 平日6往復(+同じく30往復)

定期路線の白根〜曽根〜角田線などで便数が重複している可能性もありますが、それでもかなりの増便数です。平日ダイヤでの増便が目立つのは、マイカーを持たない・持てない中高生や母子連れ(当時は専業主婦が多いうえ、女性の運転免許所持者が多くなかった)の利用を想定していたのではないかと思われます。加えて、当時の夏期は休み中の中高生が多く移動する日中に増便ダイヤを組んでいたようで、運転士・車掌と車両が確保し易かったことも関係していそうです。


一方、1967年4月16日に運行された花見臨時バスの記録も。
・新潟〜加治川 往路21台・復路18台
・新発田〜加治川 往復44台
・築地〜加治川 往復3台
・新潟遊園(現在の西区・寺尾中央公園) 往復26台
・新潟駅〜弁天橋 往路58台・復路62台

車社会が定着した現在とは、隔世の感がします。
特に加治川関連の臨時バスは配車台数も凄まじい規模で、おそらく満員の乗客を次々とさばいていったのでしょう。
当時、加治川堤には6000本もの桜が並び「長堤十里世界一」と呼ばれる桜の名所でした。
この年の8月28日に発生した羽越水害や、その後の河川改修で一旦は失われましたが、復元により現在は2000本の桜を目にすることができます。

また、1968年のお盆には、新潟から村上・木崎・葛塚・水原・岡方・二本木・沢海・小須戸・升潟・大野新津・弥彦・曽根巻・早通酒屋・山二ツ曽川・太郎代の各線で臨時増発を実施したとのこと。「バスで実家へ」という風潮は、県外からの帰省を別にすればさすがに姿を消したのではないでしょうか(お盆に帰省するという慣習自体も、姿を消すかもしれませんが)。

さらに1971年1月2日〜4日の初売り期間には、予定されていた臨時増発に加えて新潟市内線179台・郊外線62台の臨時増発を実施したとのこと。モータリゼーションの真っ只中とはいえ、当時は「バスで街へ」という風潮がまだ強かったのでしょう。午前中の古町方面や夕方の各方面においては、増発してもなお乗りきれないほど利用者が殺到したのではないかと想像します。


気が向いたら、次は1970年代前半を取り上げる予定です。
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