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2020年05月05日16:30

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「20年史」以後の新潟交通から(第1回・60年代後半前編)

鉄道趣味と同じく、バス趣味のジャンルも多岐にわたります。
そのうちの一つが交通史研究です。

その対象も、特定のバス事業者のみに絞る人、同じ地域のバス事業者全てを選ぶ人、ある年代に絞るものの地域・事業者を問わない人とさまざま。
オークション等で過去の時刻表を収集し、運行本数や路線網の変遷を時系列で追う楽しみ方もあれば、図書館に所蔵する事業者の社史・社内報では飽き足らず、過去の新聞・自治体広報、さらには運輸当局への情報公開請求等も活用して路線・系統の変遷を時系列で追う楽しみ方もあるようです。ここまでくると地域史研究に近いものとなっていきます。

個人的には、新潟市内における路線別利用状況や停留所別乗降人員、さらには運行ダイヤの歴史的変遷に興味を惹くのですが、なにぶん資料入手のノウハウをもっておらず…。

さて、新潟交通グループにおける第一級の交通史資料となるのが、「新潟交通20年史(新潟交通、1966年)」です。新潟市周辺の公共図書館でも所蔵しているところは多く、比較的アクセスしやすい資料といえます。しかし、同書の刊行以降は社史の編さんがされておらず、新潟県立図書館に所蔵されている社内報「月刊新潟交通」で補うことになります。
「月刊新潟交通」は、1990年代に入って以降に編集方針が変わり、一般的な社内報とあまり変わらない内容になっていますが、それ以前のものは路線・系統の存廃状況やワンマン化・自由乗降制度の導入状況、さらには年度ごろの設備計画などが詳細に示されており、資料的価値の高い内容になっています。

図書館資料でもあり、他のSNSでも日の目をみる機会はあまり多くないようにも感じます。本シリーズでは、「20年史」刊行後からネット黎明期以前の1990年代前半までを対象に、「月刊新潟交通」の中から独断で選んだトピックにそれぞれ触れてみたいと思います。
まずは、「20年史」刊行直後の1960年代後半から。


【設備計画】
この当時、毎年度の上期と下期に分けて設備計画が発表されており、バス車両の更新(新車導入)についても触れられていました。年間輸送人員が約1億5千万人(バスラマインターナショナルNo.27 ぽると出版 1994年)とピークに達していた時期でもあり、乗合用の導入台数も現在とは比べ物になりませんでした。また並行して、貸切用車両を改造転用することも行われていたようです。
というわけで、各年度の乗合用車両の導入計画は以下の通り。
当時、新潟県内でのバス趣味人口はほぼ皆無に近いと思われます。今だったら、追っかけに多忙を極めるのは必至でしょう。

*1967年度上期
・いすゞBA30 20台(ワンツーマン)
(貸切改造転用24台)

*1967年度下期
・日産ディーゼル4R94 ツーマン35台・ワンツーマン15台
・いすゞBA30 ツーマン5台・ワンツーマン25台

*1968年度上期
・日産ディーゼル4R94 ワンマン5台
・いすゞB30(BA? 原文ママ) ワンマン11台

*1968年度下期
・日産ディーゼル4R94 ワンマン11台
・いすゞBA30 ワンマン19台

*1969年度上期
・貸切含め70台(型式別の内訳記載無し)

*1969年度下期
・31台(同上)


【消えた路線、新しい路線】
高度経済成長の中で新潟市の人口は増え、スプロール化により市街地は郊外へと拡大を始めました。新潟都市圏では、こうした郊外の新興住宅地域などへバス路線の新設・延長が進みました。西小針線がそれまで終点だった西小針から内野まで延伸したのも、この時期です(1969年4月16日実施)。

下越地方でも、バス黄金期だったことに加え、道路の改良が相次いだことで路線の新設が進んでいます。

道路改良に伴う新設路線の代表例として挙げたいのが、1968年4月8日に新設された村上〜猿沢〜蒲萄〜府屋線。現在は新潟交通観光バスの運行で北中止まりとなった路線です。当時は2往復の運行でした。

もう一つ代表例として挙げたいのが、新潟〜水原〜津川線。1969年4月16日に新設され、2往復の運行でした。しかし利用状況が低迷していたのか、わずか2年足らずの1971年4月6日に水原で分断されてしまいました。

一方、1968年8月16日付で廃止になった路線も。
新発田〜旧道〜中条線で、単独区間にあたる茗ヶ谷・下山田・住田・横岡・下横岡・境・金山鉱泉前・貝屋・小国谷の9バス停があわせて廃止になっています。
廃止バス停の名称から、おそらく県道下長橋上館線(r343)を経路としていたのでしょう。

だいぶ以前、車でr343を走行したことがありますが、いかにも各集落を伝う旧道風情が漂う道で、道路幅員も狭かったように記憶しています。

1961年7月付の新潟交通時刻表(新潟市立中央図書館蔵)によると、当時は村上直通を含め4往復が設定されていました。

このあとに新設されたとみられる新発田〜国道〜中条線に集約されたものと思われますが、その同線も1985年6月1日実施の不採算路線整理で廃止されています。

*新発田駅〜中条駅の間のルートを推測すると、こんな感じでしょうか。
(実際と異なる可能性があります)


まだネタが残っているので、第2回へとまわすことにします。
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