【速記技能検定試験】
ペンと紙だけを用いて速記が書けるということに意味があるのではないでしょうか。
学習者も、速記が書けるようになりたいと思って努力しているのではないでしょうか。
速記の書けない人に「一級速記士」「二級速記士」の称号を与えることは、受験者御本人のためにもよくないし、社会を欺くことになり、速記技能検定試験の社会的評価を下げることになります。
日本速記協会の社会的地位を危うくします。
速記技能検定試験に機械や本の持込を許可し、速記の書けない人に「速記検定試験合格」の称号を与えることは、社会の期待を裏切ることになります。
速記が書ける人を育てることが日本速記協会の使命ではないでしょうか。
機械や本を使えばノーミスの原稿を簡単に作成できるかもしれませんが、それは受験者の成長のためにはなりません。受験者、学習者の成長の害になるだけです。
まじめに速記の勉強をして、ペンと紙だけを用いて速記が書ける人を社会は求めているのではありませんか。受験者、学習者も、速記が書けるようになりたいと思って速記に取り組んでいるのではないでしょうか。
東京速記士会とは、「東京在住在勤の速記士が集まる会」だと一般の人は考えます。東京医師会、東京弁護士会といえば、東京在住在勤の医師、弁護士の集まりだと、一般の人は見ると思います。
「東京速記士会」という看板を掲げた組織の中に、全然速記の書けない人や速記を勉強する気持ちが全然ない人を多数含ませれば、社会を欺くことになります。
速記能力、漢字書取能力、英語表現能力等を見るのが速記技能検定試験だと思います。
単語登録、音声認識、文字認識、録音録画、パソコン、辞書、参考書等を駆使して作業能率を上げることは、別の問題だと思います。
これをごっちゃにすると、何もかも駄目にしてしまいます。
機械操作能力の高い人を育てるのが目的ならば、速記技能検定試験とは別に、速記実務検定試験を実施すべきではありませんか。
速記技能検定試験にパソコンや辞書の持込を許可してはなりません。
何の能力を審査するための試験なのかということをよく考えて試験を実施しなければなりません。
録音もパソコンも、音声認識も、何も使わずに、ペンと紙だけで私たちは速記技能検定試験に取り組んできました。
その伝統と意義は、今後も尊重されなければならないと思います。
機械も本もOKというならば、当然、すべての機械、すべての本の使用を許可すべきです。
これは使ってもよいが、これは使ってはいけないなどと、自分に都合のよいルールを作って試験を実施してはなりません。
速記の技能を向上させ、機械の有効活用も考えるならば、また、スピードと正確性と信頼性ということを考えるならば、速記して音声認識を使って読み返し反訳をするのが一番よいと私は思います。
IBMの音声認識が出たときに、1級の問題を朗読しましたら、同時に文字化、文章化されて、ほとんどミスはありませんでした。
これに勝る方法はないと、そのとき私は思いました。
私は最近、少し速記の練習をしています。
元々私は、速記が好きで速記の勉強を始めました。
速記でお金をかせごうという発想は、最初ありませんでした。
手のおそかった私が速記者になれたのは、速記のおかげです。速記の持つ力のおかげです。
速記の学習は、人の能力を飛躍的に向上させ、人を大きく成長させるのです。
速記の普及は、人材の育成になるのです。
私は、高校2年生のときに父からソニーのテープレコーダーを買ってもらいましたが、だからもう速記の勉強は必要ないなどと思ったことは一度もありません。
秋葉原で書院を20万円で買って、ワープロを使い始めたときはすごく感激しましたが、だから速記はもう必要ないなどと思ったことは一度もありません。
速記は速記でいつまでも永遠に意義のあるものなのです。
きょうは、新しいシャ、シュ、ショの書き方を考え出しました。
今まであまり使っていなかったけれども速く書ける線をシャ、シュ、ショに使うことにしました。これで、幾らか速度に強くなれるかもしれません。
50年もやってきた速記ですが、まだまだ伸びる余地はあると思いました。
今までやってこなかった音声認識の活用や録音録画の活用も、これからは考えていかなければなりません。機械や本を使っての勉強も大切です。
しかし、機械や本に負けない速記の素晴らしさを一人でも多くの人に体感していただきたいと、私は思います。
速記を学ぶことはそれほど大変なことではありません。「ABCDEFG」「12345」「あいうえお」「東西南北」
「シャシュショ」を速記の英数国理社と私は呼んでいますが、速記の英数国理社を覚えることは1日でできることなのです。
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