そういえば先日、唐突にダイエット宣言をして、
その後なんの音沙汰もなかったわけですが、
まあちょいちょいやっています。
食べるものに気をつけてみたり、
運動も少しずつやっています。
とはいえ、これみよがしにやっているアピールをするほどでもないので、
報告していませんでした。
で、いろいろ考えることがあります。
なんのためにダイエットしているのだろう、と。
痩せたところでなにがあるのだろう。
健康になったところでなにがあるのだろう。
せっかくきっかけをくれた人たちのおかげて始められたものの、
続けていくモチベーションがいまいちもてませんでした。
こういうのって、やっぱり目標があるからこそできるわけじゃないですか。
じゃあ自分にとって、痩せていいことが何かあるんだろうか。
ここ何日か、そういうことを考えていました。
ああ、痩せたら会ってみたい人が一人いるな。
それを思い出しました。
彼女に初めて会ったのは、彼女が中学1年生のとき。
私はそのとき2回目の大学生をやっていたときなので、
それだけ聞くと完全に源氏物語紫の上なわけですが、
さすがにそういう話じゃなくて。
まあ、塾講師をやっていたときの教え子になります。
彼女は一言でいうと、すごくいい子。
当時、中学受験が思うように行かず、いわゆるリベンジ組。
とはいえ、そもそもなぜ志望校に落ちたのか不思議なぐらいできる生徒ではありました。
そのうえ、真っ直ぐに努力ができる。
言葉にすると、なんだか陳腐になるんですが、
とにかくすごくいい子だったんです。
特に印象に残っているのは、その努力する姿勢。
中学受験で迷惑をかけた(と本人が思っている)お母さんに対してや、
お世話になった(と思ってくれている)先生方に恩返しをするため、
本当に努力を重ねていました。
でもその姿に全然悲壮感がなくて、
明るく前向きに努力をしているように見えました。
私は彼女から学んだことがあります。
それは、「圧倒的な努力は周りの人を動かす」ということ。
彼女の代は同世代の生徒たちに影響を与えていました。
よく勉強する世代でしたが、その中心には彼女がいました。
前向きに努力をする雰囲気が教室に満ちていました。
また、彼女に関わった全ての先生が、
彼女を合格させてあげたいと思っていたと思います。
いや、そりゃ仕事なんだから同然だろ、と言われればそうかも知れませんが、
でも、彼女は通常の一段階二段階上というか、
逆に先生という立場を超えたところで素直に応援したくなる生徒でした。
受験生の年に私も社会の通常授業を持っていたと思うんですけど、
彼女の力に少しでもなれたと思うと、
なんだかこちらまで嬉しくなるような。
余談ですけど、
私、就職試験の「尊敬する人は誰ですか」という定番質問に、
「授業を受け持った生徒です」と彼女のことを答えて、
見事合格してますからね。
私はあの、周りを動かすほどの努力は本当に尊敬しています。
彼女に関わった人間は、彼女のことを褒めこそはしても、決して悪く言わず、
本人もまた、何かや誰かのせいにすることもない。
私もそう思っていました。
初めて違和感に気づいたのは、
受験シーズンも落ち着いてきた、3月ごろだったでしょうか。
誰かの悪口なんて決して言わない、
大人に対しても礼儀正しく、ちゃんとした口の聞き方ができる彼女が、
俺のことだけやたらといじってきていないか?
あれ?
「初めて会ったときはもうちょっと痩せてた」
「痩せないんですか?」
「いつ痩せるんですか?」
あれ?
俺、なめられている?
「それは親しみがあるってことですよ」
と慰める同僚に、
「親しみがあったとしても、半笑いで言われたら傷つきます」
とは言わず。
いよいよ塾を卒業していく直前、彼女に言われました。
「次会うまでに10kg痩せてください」
また、半笑いで。
まあその後も、町中で会ったこともあったし、
塾に遊びに来てくれたこともありました。
でも、10kgも痩せず。
あれから何年か立ちますが、
本当に痩せて会ったら面白いんじゃなかろうか。
普通なら過去の生徒なんて連絡つかないけど、
その塾の系列でバイトしてるって聞いたからな。
ということで、とりあえず、それを目標にしてみたいと思います。
(唐突な本題への回帰)
問題は、
「次会うまでに10kg痩せてください」
から、さらに+5kgしたってことだよね。
トータル15kgかあ。。。
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