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2019年12月08日11:26

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78年目のアリゾナ

フォト

USS Bennington honors to the USS Arizona -1958
USN Photo archives #1036055

「ぼくは別の仕事を選ぶことにして、飛行機のパイロットになった。世界のあちらこちらを飛びまわる。地理の勉強は実際に役に立った。ぼくは一目見ただけで中国とアリゾナを見わけることができる。夜、迷った時など、とても助かる。」

サン=テグジュペリ『星の王子さま』(池澤夏樹訳)より

『星の王子さま』の冒頭部分。
主人公は絵描きとなることを諦め、大人の言うとおりに勉強をしてパイロットとなる。
しかし、なんで「中国とアリゾナ」なんだろう。
あるとき、これが「日本軍」を意識したものであることに気が付いた。「アリゾナ」とは、78年前の今日(1941年12月8日)、大日本帝國海軍による奇襲攻撃で沈没したアメリカ海軍の戦艦の名前である。そして、同じころ「中国」は大日本帝國陸軍によって攻め込まれていた。

サン=テグジュペリは、祖国フランスがナチス・ドイツの占領から解放されるには、アメリカの第二次世界大戦への参戦が不可欠であると考えていた。そして、それは「アリゾナ」の沈没によって実現した。彼は、単純な平和主義者ではなかった。このころ彼の心の中では、不戦(反戦)主義よりも愛国心、あるいはファシズムへの嫌悪・憎悪の方が勝っていた。真珠湾攻撃の直後、サン=テグジュペリは「若きアメリカ人たちへのメッセージ」という講演で次のように語る。

「あなたがたは参戦しました。あなたがたは若い。そして祖国のために働き、戦おうと決意していらっしゃる。しかし、ご存じのように、あなたがたの祖国の運命以上のものが問題となっているのです。賭けられているのは世界の運命なのです。あなたがたは、世界における自由のために働き、戦おうと決意しているのです。」
(『戦時の記録1』より)

およそ半年後の1942年6月頃にアメリカで執筆が始まったといわれる『星の王子さま』に、こうした彼の態度が反映されていたとしても、何の不思議もないだろう。「中国とアリゾナ」という奇妙な組み合わせは、「日本軍」を媒介にしなければ理解できない。

『星の王子さま』の執筆後、サン=テグジュペリは急速に死への傾斜を深めていく。
偵察機パイロットとしての任務飛行中の死は、彼の望んだままの死に方であったかも知れない。
人間には、「生き方」よりも「死に方」の方が「たいせつ」になるようなときがある。『星の王子さま』は、そんな心の状態にとらわれた中年男の「遺書」のようなものだ。

そう思うと、この本は「童話」などではなく、苦境にある大人のために書かれた本であることがわかる。その証拠に、『星の王子さま』は、ナチス占領下のフランスに残された年上のユダヤ人の友人に捧げられている。

今日、『星の王子さま』を読む日本人の中で、「アリゾナ」の意味について考える人は皆無に近いだろう。しかし僕は、時々はそのことについて考えてみたいと思っている。

<サンテグジュペリと『星の王子さま』>
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