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2018年12月14日22:37

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川端康成と湖月抄(3)


「 2013年12月16日(月)――。
 私は、この日のことを、生涯忘れないだろう。」
「 今から70年ほど前に、康成はこの巻を1冊ずつ手にとって、全巻を読破したのだ。その康成手沢本(しゅたくぼん)を、いま自分は手にとっている……感激と興奮で、私は身体が硬直している。」
「 川端康成がいつ、どこから、この湖月抄を入手したかは、分からない。ただ戦後になって、随想「哀愁」に、自分は戦争が負け戦に転じたころから源氏物語湖月抄を読み始め、敗戦のころは、その半ばまで読み進んだところだったと告白したので、康成と源氏物語の関わりが注目されることとなった。
 私は戦後の川端作品に、源氏物語が深く影を落としている点を、さまざまに立証したことから、この湖月抄に前々から強い関心を抱いていたのである。」

森本穫「源氏物語湖月抄に出会った日」
https://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/c4dca644d7ab7999261b0bf91eaf44ac

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川端康成が読んだ木版本『湖月抄』は、鎌倉市長谷にある川端康成記念会によって保存されているようだ。
上に引用したのは、川端研究家の森本氏が、その『湖月抄』を閲覧したときのことを記したブログから引用した。最初にこのブログを読んだときには、何ともオーバーな感じがした。研究者というものは、研究対象に対して特殊な感情を抱いているものだというくらいに思った。

しかし、「哀愁」に記された川端の回想、『美しさと哀しみと』に描かれた木版本への愛着を読むと、この森本氏の「感激と興奮」も、無理のないことのように思われてきた。

このブログの中で気になったことが、もう一点。
「私は戦後の川端作品に、源氏物語が深く影を落としている点を、さまざまに立証した」

川端の作品をまじめに読んだことは少ないが、川端康成にとって「源氏物語」が何であったのかについては、いずれ調べ、そして考えてみたい。

◆公益財団法人川端康成記念会
http://www.kawabata-kinenkai.org/

◆森本穫「戦時下の川端康成」
その7
https://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/46d2e7601a3c3a7b3589af2defb5818d
その8
https://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/3c595958c8b8426377e03b246d68dae1
その9
https://blog.goo.ne.jp/osmorimoto_1942/e/60b62ea7285f59d9c5388f3d10f38689
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