最終日である。1時間ほど前にPCRテストを受けた。やることは本当に簡単なことだ。その検体を調べるのは大変なんだろうけど。
2008年。言い方が非常に良くないけど、僕は親会社が結論を出すのを待っていた。結論を出す前に僕がMを辞めるという手はあった。Mの社長の親族以外はみんなそうやって辞めていった。僕はやめない方がいいと考えた。根拠はなかったけれど、ここで辞めたらMの社長を裏切ることになるように思った。お世話になった人だし。
そして5月になってMは会社を閉鎖することになった。僕はこの時点でMを辞めた。そしてハノイのMMVを買い取ることにした。僕がMから買うのである。MMVの資本金は10万ドルだったのでその金額で買うことに合意してもらった。当時の為替だと1千200万円くらいだった。僕は自分の金を800万円ほど用意した。自分の金といっても保険の金だ。それでも足りない。そこを結局アインさんにお願いした。
アインさんにMMVの仕事がなくなってしまったことを話したとき、彼は黙って聞いてから、浅山さんはどうしたいですかと聞いてきた。つまり日本に帰るのかハノイに残るのか。
僕の答えは残るだった。結局僕が84,000ドル、アインさんが56,000ドル出資して2008年5月からMMVは新しくなった。アインさんは単に出資しただけだ。仕事を受注するのも儲けを出すのもすべて僕の責任だ。
そして8月にはなんとか顧客を見つけて僕は生き延びてきたわけだ。また思い出したらそのあたりの話を書くことにしましょう。
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