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2020年02月14日01:05

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オーケストラ演奏の動画から見えてくるもの―指揮者の人間性が現れる瞬間―

 最近では、You Tube等の動画で、実演に接することができなかったオーケストラの演奏も自由に見ることができるようになりました(今日は、2005年に会社としてのYou Tubeが設立された日ということです)。まぁ音質や迫力にはもとより限界がありますが、その代わり何度でも繰り返し見たり、実演では見られなかったものまで見られたりするので、これはこれで興味深いものがあります。

 例えば、私がよく取り上げるオーマンディが階段?が三段もある指揮台を使っていたことは、動画を見るようになって初めて知りました。これはオーマンディの背が並外れて低かったためですが、オーマンディはこの高い位置から、釣り竿の先を折り取って加工した指揮棒を操って、豊饒な音(オーマンディ・トーン)を作り上げました。
https://www.youtube.com/watch?v=Zu0x-a1VCAg


 これに対して、クレンペラーは2mもの身長があったため、指揮台に階段を設ける必要はなかったものの、この人は早くに腰を痛めてしまったため、椅子に座って指揮しています(それでもデカさを感じます)。座ったことで本腰が入ったのかもしれませんが、どこかガラパゴスのリクガメを想起させるその風貌から繰り出される音楽は、途方もなくスケールがデカく、悠然とした重厚なテンポで曲の内面を抉り出す(内容のない曲ではその内容のなさが抉り出されてしまう)恐るべきものでした。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=24&v=vHmAvynDVBU&feature=emb_logo


 一方、大指揮者の代名詞のように云われるフルトヴェングラーの指揮は、オーケストラの団員にとっては非常に分かりにくいものであったらしく、それを承けてのことか、日本では名前を捩って、よく“振ると面食らう”などと揶揄されたものでした。
https://www.youtube.com/watch?v=Yqff1F0Ijn0

 動画を見る限り、分かりにくいというよりも、何か不釣り合いに背が高すぎるというのか、ぶきっちょに(でも一生懸命に)踊っているように見えるところがあるような気がします。

 これとは反対に、指揮姿の華麗さで有名だったのは、惜しくも16年ほど前に亡くなったカルロス・クライバーです。タクトを振るというより、全身で舞うようなイメージです。
https://www.youtube.com/watch?v=nWwWu4yyi7o

https://www.youtube.com/watch?v=YP1D-k47BPg

 楽しそうですね。この華麗な指揮姿をこの目で見ておきたいというファンは多く、コンサート・チケットはいつも超人気だったのですが、この人はドタキャンでもまた有名で、せっかくチケットを手に入れても実演に接することができるか否かは常にギャンブルでした。
 
 美しい指揮姿ということでは、以前日記でも触れたストコフスキーも有名でした。とくに若いころのこの人にはその美貌も手伝ってカリスマ的人気があり、映画『ファンタジア』『オーケストラの少女』では台詞付きの指揮者の役に抜擢されたほどです。
映画『オーケストラの少女』よりhttps://www.youtube.com/watch?v=UfcFMv8DWAc


 でも、大抵の指揮者は、こんなに華麗だったり美貌に恵まれていたりするわけではありません。それでも、各人各様の形で、オーケストラの楽員と共に一生懸命音作りに励んでます。
 例えば、バーンスタインは、ぴょんこぴょんこと飛んだり跳ねたりして、見ようによってはチャップリンみたいな指揮をしてますが、全身全霊で曲に没入し、こちらが恥ずかしくなるくらい自分をさらけ出すその指揮姿からは、ものすごく熱い思いが伝わってきます。
https://www.youtube.com/watch?v=gQctkKJMgM0

 ちなみに、バーンスタインには、顔で指揮した次のような動画もあり、「レニー」の愛称で楽員から愛されていたという話もさもありなんと思わせます。
https://www.youtube.com/watch?v=0F8Z55ZxYsE


 これらの動画に対して、極端に異質なのがカラヤンの動画(カラヤン監修のもの)です。
https://www.youtube.com/watch?v=adFfq89ZfiM

 一見、普通のオーケストラ演奏の動画のように見えますが、よく見るとアップで写されているのは、カラヤンや楽器ばかりで、はっきりと楽員個々人に焦点が合わされたカットがほとんどないことに気付きます。いったいなぜ、こんな奇妙なことになったのか?
 実は、カラヤンによる画像・動画のチェックは異常に厳しく、そのことは1981年にTBSが、創立30周年記念事業としてカラヤンとベルリン・フィルを日本に招いた際、日本人の目にも明らかになりました。TBSがコンサートの模様を中継しようとしたら、その前にまず全ての曲について絵コンテ(すべてのカットをスケッチで表現したもの)の提出を求められ、カラヤンが検閲して許可した撮影方法でしかTBSは中継できなかったのです。
 どうやって中継するかは本来放送局の仕事であって、演奏の妨げにでもならない限り、音楽家が横やりを入れるような筋合いの話ではないので、これだけでもかなりの暴論ですが、さらに次のような注文が付いたそうです:楽員が演奏をしているとき、その楽器の大写しを撮るのはいいが、決して楽員の顔を写してはならない。
 その理由は、「オーケストラの奏者は指揮者の指示どおり演奏しているのであり、指揮者の身代わりに音を出す存在である。すなわち、オーケストラにおける人格とは指揮者の人格のことであり、個々の奏者には、人格がない。人格がないものの顔を大写しにする必要などはない。大写しにして良いのは指揮者だけである」からなのだそうです(石井宏著『帝王から音楽マフィアまで』P52〜53)。
 なんとも人をバカにした幼稚な言い分です。奏者に人格がないのなら楽器にはなおのこと人格がないでしょうに、その楽器の方は撮っていいと言うのですから、駄々っ子みたいな自己矛盾です。と同時に、他人の人格を平気で否定するこの考え方は、カラヤンがナチ党員だったことを想起させるに十分な恐ろしい考え方でもあります。
 カラヤンは、上掲動画が撮られた1967年にはすでにこの愚かな考え方を恥ずかしげもなく実践していたわけであり、こういうことをほぼ死ぬまで続けていたようです(翌年には還暦を迎えるいい歳をしたおっさんがこんなことを考えていたのかと思うと、もはや哀れさを通り越して救いがたい深い闇を感じます)。
 どうやら、他人の人格を簡単に否定して平気なヒトが、少しばかり音楽的才能があり、録音・録画等の情報管理を異常に徹底した結果、「帝王」のイメージを作り上げることに成功し、それを長年にわたり人々に崇め奉らせてきたということだと言えそうです。
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