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2019年10月19日01:20

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ピアニストから見た理想のピアニストの光と影

 今日が誕生日だったピアニストのエミール・ギレリスは、ソ連のピアニストとしては最も早い時期から国際的に活躍していた人でしたが、ユージン・オーマンディ絡みでこんな話が遺っています。
https://www.youtube.com/watch?v=6X6wLXYRiao

 (上掲動画のときではありませんが)ギレリスの演奏が、あまりにも素晴らしかったので、オーマンディがギレリスに最大の賛辞を贈ろうとしたところ、ギレリスはオーマンディを制して「リヒテルを聴くまで待ってください」と言ったというのです。
 そう聞くと、リヒテルというのは、さぞかしすごいピアニストに違いないと思えてきます。
 実際、ピアニストの青柳いずみこさんによれば、来日する欧米のピアニストに、どんなピアニストが理想ですか?と問うと、ほぼ例外なくスヴャトスラフ・リヒテルという答えが返ってくるそうです。
 まぁこれらの話は後から知ったことで、私は30年以上前にリヒテルの演奏を初めてLPで聴いたのですが、少なくとも、次の2曲に関しては、素晴らしいと感じました(いまだに私の中ではその曲のナンバーワンです)。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集https://www.nicovideo.jp/watch/sm13711952

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(真央ちゃんですっかり有名になった曲ですね)https://www.youtube.com/watch?v=khBDXDckJTk

 ホロヴィッツの柔らかく輝かしい音、フランソワのキラキラとしたクリスタルな音とは対照的に、リヒテルのどこかくぐもったようなほの暗い音によって描き出される世界は、重苦しく思索的で、哲学的な深みを感じさせる曲や、凍てつき荒涼としたロシアの大地を感じさせるような曲には実にピッタリという感じがします。
 大抵の一流ピアニストは、幼い頃からピアノ演奏の基礎を叩き込まれ、練習に練習を重ねて磨いたテクニックに当てはめて、曲を「弾けるように弾く」らしいのですが、リヒテルは意外なことに(自分の趣味でピアノを好きなように弾くことはあったものの)高校の年齢になるまで、そうした正規の音楽教育は受けなかったということです。それだけに、リヒテルは、自分のテクニックに音楽を従わせるのではなく、逆に音楽に自分の指先を従わせることに自然になったようです。上述の青柳いずみこさんは、「弾かねばならないように弾く」とでも言おうか、と述べています。
 私自身もリヒテルの演奏を聴いて「いいな」と感じたのは、「こう弾いてほしい」と思うところをそのように弾いてくれた瞬間であったような気がします。
 ただ、この手のピアニストは、弾かねばならないように自分が弾けない(嫌だ)と感じたものは断じて弾かないらしく、例えば、ドビュッシーの前奏曲集にある「亜麻色の髪の乙女」と「ミンストレル」をリヒテルは意地でも弾かなかったために、全曲揃った前奏曲集としてはレコードやCDが発売されることは遂にありませんでした。
参考:亜麻色の髪の乙女https://www.youtube.com/watch?v=PzZaHUlYpSw

参考:ミンストレルhttps://www.youtube.com/watch?v=Jt_KjsVzoLc


 他方で、リヒテルは、ソ連という国家の影を強く感じさせるピアニストでもあります。
 何よりもまず、この人はスターリンの粛清の下で実の父親を失っています。密告によりスパイの嫌疑をかけられ銃殺されたのです。しかも、一説には、その銃殺後、母親がなんとその密告者と結婚したのです。リヒテルとしては、実の父親の命を奪ったに等しい男が継父になったわけですが、いったいどうしてこんなことになったのか詳しい事情はよく分かりません。
 加えて、この継父がドイツに縁があった人らしく、そのためもあったのか、リヒテルの母親は第二次世界大戦末になんと敗色濃厚なドイツに亡命しています(もしかしたら、最初から国外脱出の方が目的で、結婚はあくまでその手段にすぎなかったのかもしれません)。
 このように、実の父親がスパイ容疑で銃殺、母親が亡命ということになると、リヒテルに対するソ連当局の風当たりは相当厳しいものとならざるを得なかったと見えて、亡命が著しく警戒された結果、リヒテルが国外、とくに西側諸国に出て行けるようになるには時間がかかりました(そのため、リヒテルがようやく西側でのデビューを果たした1960年まで、この人は長らく”幻のピアニスト”などと呼ばれたものです)。
 リヒテルに対するソ連当局の監視の厳しさを物語る話としては、こんなジョークまでありました。ソルジェニーツィンという反体制的言動で度々当局から睨まれていたノーベル賞作家がいたのですが、彼の取扱いをどうしたものかと当時の文化大臣(女性)が、リヒテルに相談したという設定です。

文化大臣:ご存知でしょ、ソルジェニーツィンが何を仕出かしたかを。今、彼はチェリストのロストロポーヴィチ(←すでに西側でも有名だった)の所に住んでるんです。だけど、彼をロストロポーヴィチの家で逮捕するのは、いかにもまずいことですわね。西側の新聞やメディアは大騒ぎをするでしょう。ね、わかるでしょ。もっと慎重にやらなくちゃ。ソルジェニーツィンの問題を優雅に片付けるにはどうすればいいと思います、同志リヒテル? 
リヒテル:なるほどね、つまり住宅問題ですな。幸い、私は当局から立派な住居をいただきましたので、ソルジェニーツィンにここに住んでもらいましょう。

 当局から贈呈されたリヒテル邸であれば、居ながらにして事実上逮捕できる(リヒテル邸は牢獄)というわけです。
 こういうジョークが巷でも囁かれるほど、当局がリヒテルを監視していることは世間にも知れ渡っていたということです。同時に、当局のその監視が凄まじく厳しいものであったために、こんなジョークができてしまったのでしょうから、恐ろしい話です。
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