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2018年03月17日00:33

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法治国家ヅラした無法地帯

 今、この国は、未曽有の大事件に直面しています。財務省が認めた公文書の改竄です。
 にもかかわらず、巷の受けとめ方は、またいつもの?お上の不祥事といった程度の鈍いものばかりという気がします。これは一つには、ほとんどの場合、この事件が森友問題という、すでに一年以上も世間を騒がせている問題の側面から扱われているためでしょう。
 しかし、この事件には、森友問題の影に隠れてますが、もう一つのはるかに大きい問題があります。この国が本当に法治国家なのかどうかが揺るがされているという問題です。

 法治国家には、“行政は、行政機関独自の判断で行われてはならず、国民の代表である議会が定めた法律に従ってのみ行われなければならない”という「法律による行政の原理」があります。公文書の改竄を命じる法律なんか、どこにもありませんから、これを公務員が行うことは、明らかに「法律による行政の原理」に違反します。
 今回の改竄は、公文書を盗んだり、拾ってきたりした民間人によってなされたのではなく、行政を担う公務員自身によって犯されたという点が決定的に重要なことなのです(その意味では、改竄がなされたのが森友問題と無関係な公文書であったとしても問題になることとすら言えます)。このような「法律による行政の原理」を踏み躙るような行為が許されるとすれば、それはこの国が法治国家ではないということを意味します。
 ですから、これが行われてしまったことは、「まことに由々しき事態」(←麻生の答弁より)であり、深刻に受けとめてしっかり責任を取る必要があるのです。
 一国が法治国家であることを揺るがすほどの問題です。だから、これに反した責任は重いです。財務省トップの財務大臣の辞任はもちろん(続投はあり得ない)、行政府の長たる総理大臣も、他人から言われるまでもなく、自ら辞任して当然の事件だと思います。日本国憲法上も、「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」(66条3項)と規定されています(連帯責任は高校球児の専売特許ではありません)。
 それは重すぎるのではないか、あるいは、今辞められても、マシなのがトップに就任するとは限らず、もっとひどい政治が行われる危険があるとかの反論もあるかもしれませんが、それでは、彼らが、今の地位にとどまり続けてもよいというのでしょうか。
 もし、総理大臣、財務大臣が謝罪するにとどまり、今の地位をそのまま維持し続けたならば、それは、日本が法治国家といっても、所詮はこの程度のものなのだというサインを全世界に伝えることになります。当然、バカにされ、軽んじられることになります。
 さほど政治に関心がない一般の日本人以上に日本のことを知り尽くしている米国の当局は、日本の法治国家の実態も押さえていて、今でさえ、すでに完全に日本を舐めてかかっていると言ってもいいでしょう。
 一例を挙げれば、昨年の日米首脳会談では、こんなことがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=2U-qxm-wy5Q

 日本の総理大臣なんか眼中にないわけです。
 あれは偶々気づかなかっただけのことだろうと思われるかもしれませんが本当にそうでしょうか。
 この会談のとき、日本には成田や羽田といった表玄関があるのに、トランプは、わざわざ横田基地から日本に入ってます。これは、この人が日本をまともな主権国家、法治国家と見ていないことの現れと言えるでしょう。この人にとっては、日本は法治国家ヅラした無法地帯でしかないのです。実際、かなり前の話ではありますが、ライシャワー駐日大使などは、統合失調症の日本人青年にナイフで太ももを刺されて、そのときの輸血がもとで、肝炎になってたりしますからね(1964)。
 まぁ、総理大臣が七転八倒するだけの話なら、たいしたことないですが、より深刻なのは、米軍が不祥事を起こすたびに問題となる日米地位協定の問題です。米国は不平等と云われる同協定の改正には決して応じようとしませんし、かろうじて日本に認められた権利も平気で無視します。先日などは、日本側がこれを抗議すると、本気で不快感を露わにしました。まともな法治国家でもない分際でエラそうなことをぬかすな、というわけです。
 こうしたことは、やがて伝染し、日本と結んだ合意や協定、条約を守らなくなる国が続々と現れても不思議ではありません。まともな法治国家でないあんたに文句を言う資格はないよ、と言われてしまえばそれまでです。
 問題は、外交関係にとどまりません。
 NHKがしばしば指摘しているとおり、公文書の改竄は、情報公開制度を無意味にします。露骨に国民の知る権利を侵害しているわけです。
 「法律による行政の原理」を踏み躙り、一国が法治国家であることを揺るがしたということは、事ほど左様に重大な問題なのです。ですから、この問題を総理大臣等の謝罪一つで終わらせることだけは何としても避けなければいけません。

 ところが、こうした法治国家という観点から事件をしっかり伝えているメディアはほとんどないですね。それどころか、事態は奇妙な方向に進んでいるように思えます。改竄がいつ、誰の指示で、何のために行われたのかということばかりが、当り前のように追及されているのです。
 確かに、それは森友問題の刑事責任追及のために必要なことではあります。
 でも、それは当面は警察や検察に任せておけばいいことであり、国会において追及すべきことは、この国が法治国家であることを揺るがした者の政治責任です。
 そして、それは指示の有無等を問題にせずとも追及可能です。改竄したこと自体が問題なのですから。指示がなかったなら責任がないことになるといった問題ではないのです。
 確かに、森友問題が重要な問題ではないというつもりは私にもありません。しかし、それ自体は一売買契約の当否の問題にすぎず、一国が法治国家であるかが揺るがされた問題に比べれば小さいものです。
 そもそも、刑事責任の追及は、まともな法治国家であって初めて可能となるものです。その法治国家であるか自体が揺るがされているというのに、どうして野党がここまで森友問題(刑事責任の追及)の方にばかりこだわるのか、私には理解できません。

 今の状況は、明治時代の大津事件を思い出させるものがあります。大津事件については、以前、こちらの日記で触れましたが(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1842317975&owner_id=22841595)、あの事件の時は、日本は世論の大勢に反し、筋を貫いた結論を出すことで、かえって世界から評価されました。今回も筋を貫くこと=日本がまともな法治国家であることを示すことが日本の明るい未来を切り開くことになると思います。
 今、この国は、まともな法治国家に踏みとどまることができるか否かの瀬戸際に立たされていると言ってよいでしょう。

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