SR400が停まってゐた。
嗚呼
バイクに乗ってゐた時代、唯一『事故でお別れした』個体である。
それまでづっとオフロードタイプのバイクに乗ってゐたが、そろそろなんか違うかんぢのものに乗ってみたくなり、しかしいわゆるヨーロピアンのものには惹かれず、またアメリカンでもなく・・・と思ってゐた頃、馴染みのバイク屋にこのSR400が出てゐた。
いわゆる「クラシック・バイク」といふカテゴライズのもので、洗練とか利便とか、そんなものからは一線を画してゐて、そこが私を強く惹きつけたのであった。
しかも「リミテッド・カラー」といふやつで、通常白黒のツートンのところを、私が購入したのは「小豆色」のとてもシブいカラーだった。
当時このSRとHONDAのクラブマンといふ車種が、「クラシックバイク」の双璧を成してゐて、クラブマンは250cc。SRは400と600があったのかな・・?
1200ccのハーレーと並んでも見劣りしない佇まいが好きだった。
別れは唐突に来た。
仕事場でかなりイヤな事があり、もぅ辞める、くらいの暗澹たる気持ちで帰途に着いてゐた私は、知らずスピードが上がってゐた。日頃はそんな事はせぬのだが、居並ぶ車の間隙を縫って街中を飛ばしてゐた。
右折禁止レーンに進路を塞ぐ形で白いセダンが現れ
私は気づけば救急救命にゐた。
上記のセダンのことも後で憶ひ出したもので、意識が戻った時は自分の置かれた状況が全く理解できなんだ。
どうやら事故ったらしい、と気づいた時には、私のSRは無残な姿になってゐた。
私は、右折禁止レーンに割り込んで来た乗用車の側面に、時速60Kmくらいで突っ込んだらしい。相当に運が良かったやうで、私は足の火傷(マフラーに接触したらしい)以外ほぼ無傷で、しかし SRは半分ぐらいの大きさに縮んでゐた。
相手側に保険の未払いがあったり、私が当時正職に就いてなかったりして、その後色々な煩雑に悩まされることになる。
結局、鼻水のやうなはした金しか保証されず、私はこの時「社会的に不安定な者には、保険や保証など何の役にも立たぬ」といふことを学んだ。
日本社会は、組織に属さぬものに救いの手は差し伸べてくれないのだ。
その煩雑に追われ、SRとちゃんとした「別れ」ができなんだことが悔やまれる。
いいバイクだった。
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