チャイ語学びたての日本人に良くある話だが、「謝謝」を「シェイシェイ」と言ってしまう。
どう考えても「XieXie」が「XeiXei」になるワケないのにこうなる。
それはだ、耳が悪いからじゃなくて、勉強方法が悪いから。
横着をして、耳から覚えようとかすると、そういう罠に陥るのだ。
もしも「謝謝」をピンインから覚えていたら、そういう発音には絶対にならない。
「XieXie」はシエシエであって、決して「シェイシェイ」にはなり得ない...
というのがアタマでちゃんと分かってるからだ。
成人が外国語を覚えるなら、「必ず」教科書の勉強を主にすべきで、疎かにしてはならない。
というのも、人間の脳というのは、器用なようで一部は非常に頑固で使い勝手が悪いからだ。
例えば、よく森なんかで「オオカミや犬に育てられた」とかいう「狼少年」や「狼少女」
なんてのがが保護される事件があるが、彼らが人間に保護されても、
その後、彼らがコトバが喋れるようになったという例はまずないのがいい例。
要は、人間には「言葉を覚える」に適した年代というのがあり、それが幼少期だからだ。
そしてその原因であり、ボトルネックになっているのが「脳」なのだ。
脳には、ある期間を過ぎると、或る音を意味のある言語として認識できなくなってしまう。
だから成人になってコトバを覚えるというのは、実は脳的にはかなり無理なことをしており、
おそらく、大人になってマスターしたと思しき外国語というのは、
実は脳的にはコトバとして認識したわけではなく、一種の訓練によって身に着いた
「習慣」と言ったほうがより適切なんじゃないか、と小生は思う。
だから、成人が外国語を覚えようという場合、自然に身に着くというのはちょっと誤解で、
モノを習得する為の反復、例えば自転車が乗れるとか、泳げるようになるのと同じ「訓練」と、
耳ではなく頭で理解するという「勉強」ね、これによって身に着いたというほうが適切と思う。
この両方が、結局は近道であり王道なんじゃないかな。
そこをちゃんと押さえておけば、イヤでも反復練習せざるをえない環境へ自らを置いたり、
敢えて教科書を使わないという選択肢はあるとは思うが、所詮は詭道。
結構早いトコ天井にぶつかるんだろうな、という実感はあるね。
あと、筋トレやってる人には実感あると思うが、人間てのは慣れるのは意外と早くて、
伸びが鈍った時には違った角度からの刺激が極めて有効なんだよね。
だから、教科書ばっかりでは確かにダメで、アタマうちになった時の留学やなんやら
というのに効果が顕著に表れるんだろうなと思う。
それでも、基礎・基本となるべき「勉強」が無ければ詭道も役には立たない。
外国語やるなら、早いところ教科書開いて反復練習したほうが無難なんだよねw
羽生結弦に熱狂の中国女性 「謝謝」挨拶に「アイヤー」の悲鳴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3358638
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