今日。本当にふと昭和から平成にかけてデジタル文化はどんどん進んで
目覚しい発展をしてきたんだなと思った。
そんなことに目を向けてたら、そういや大正生まれってあとどれくらい居るんだろうか。
昭和初期の人だってだんだんと減ってきて
あのしわくちゃながら力強い手ってのは今の平成生まれや昭和の後期の人間に
どれだけ伝わって、どれだけ引き継げているんだろうかと。
生きていたらどんな子に育ったんだろうと、お前の年をどんどん超えていくと
思うことはいつまでも思い返す深い深い傷になってんだろうと。
その傷がつながりだと思える日まであとどれだけ年月が流れればいいんだろうと。
自分はきっとそんな風に過去をとらえられないし、うまくバトンをつないでる人間
じゃないと思っている。
いつまでも自分の人生の主人公気分でまあなんとかうまくいくだろうと楽観して
きっとのうのうと生きていくんだろな。そのうち急に死に直面して真っ暗になるのかも
なんとも言えないこの気持ちを
ナカムラエミの新聞を聞きながら文字に起こして
未来の自分はこれを読んで、ああこの時はこんなこと考えてたんだと
ポーネグリフを残すのであります。
■「生きていたらどんな子に…」子や孫連れて、早朝の黙禱
(朝日新聞デジタル - 01月17日 12:27)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5939064
そんでもってすっごい。こんな日記かいておいてすっごいどうでもいいことなんだけど
ものすごく面白かった。
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