“セプテンバー”のヒットを受けてか、全体的に明るくキャッチーなディスコ路線で占められたアース・ウィンド・アンド・ファイアー(以下、EW&F)の77年作『太陽神』。
とりわけロマンティックなメロディへの傾倒が強く、フィリップ・ベイリーがいつものようにとろけるようなファルセットを聴かせる“ファンタジー”を筆頭に、わかりやすくロマンティックで、親しみやすいナンバーで溢れている。
どの曲もメロがいいんだけれど、必ずしも主旋律の歌メロではなく、装飾的に扱われているフレーズのキャッチーさにこそ美点が表れている点が特筆すべきだろう。1分半程度の小曲ながら、誰もが一度聴いたら忘れないほどキャッチーな“ブラジルの余韻”のスキャットなんかは象徴的で(なんでこの曲をもっと拡張しなかったのだろう)、本作でのモーリス・ホワイトのコーラスワークはまるで管楽器を扱うようにアレンジしている。
とは言えリズム面がおざなりになっているわけではまったくなく、ギター・カッティングだったりベースだったりは、いつも通りファンクらしい黒いグルーヴを携えている。“ランニン”のベースラインなんて死ぬほどカッコいいし。
なので、これをディスコ・ミュージックとして紹介する風潮にはいささか違和感を覚えてしまう。
そもそもファンクとディスコの線引きをどこでするかは議論の余地があるはず。ファンクから派生したディスコ・ミュージックは当然のようにファンクの躍動的なグルーヴからスタートした音楽であり、ディスコと言ってもファンクにしか聴こえないグルーヴィーな曲も沢山ある。
つまりEW&Fのように両ジャンルを跨ぐようにして登場したアーティストにとって、リズムとメロディの同居は音楽的に別に矛盾する要素ではなかったはず。
というより、“セプテンバー”のヒットを受けて、モーリスのメロディ・メーカーとしての資質によりフォーカスを定めたというのが正しいかもしれない。彼にはディスコのもうひとつの源流たるソウル・ミュージックのメロディが根底にあるので、自分の強みを活かした曲を作るのは作家にとって自然な流れ。
というわけで、なにかと評論家筋ではディスコというだけで軽薄だと馬鹿にされがちだけれど、ジャンル自体に良し悪しなどない、という当たり前のことを教えてくれる1作(アバだって大好きだもんね)。
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