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2019年12月24日12:45

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This Is the One/Utada

 良い意味でも悪い意味でも話題になった全米デビュー作『エキスドス』から5年、ひっそりとリリースされてた感のあるUtada名義として2作目の『ディス・イズ・ザ・ワン』。

 今の感覚で言うと、リリースする国によって言語やサウンドを分けること自体、前時代的だなぁと思うのだけれど。当時はこれがベストなプロモーションだと考えていたのだからしょうがない。

 というわけで、前作ではティンバランドが数曲手掛けていたのみだったが、今作はスターゲイトやトリッキー・スチュワートなど、ポップス界、R&B界のヒット・メーカーに全面的にプロデュースを依頼。最先端R&Bの市場に違和感なく溶け込む音になっている。

 ただ彼らの仕事は確かに洗練こそされてはいるものの、昨今隆盛しているブラック・ミュージックの革新性に慣れてしまった耳で聴くと、ずいぶん一昔前のサウンドに感じられてしまう。それに仕事への熱量という意味でも、プロデューサー陣は「日本の歌姫を海外仕様にアップデートさせる」という仕事をあくまで忠実にこなしただけで、それこそ『エキスドス』における宇多田チームの「全米で成功さるぜ!」という並々ならぬ熱量とは程遠いわけで、そこが対照的に際立ってしまった感がある。

 さらに本作は、日本向けにリリースされた『Heart Station』と同時進行で作られたらしく、R&Bっぽい曲ができたらすべてこちらに回した、ってことなんだろうけど、それも楽曲の質の担保という意味では裏目に出ている。(“Come Back to Me”のような万国共通でキャッチーに感じられるであろう佳作も収録されてはいるけれど)

 もっと言えば、宇多田ヒカルの作家としての最大の個性は「和洋折衷」にあると考えている自分にとって、本作でのサウンドはアメリカによくある当時のR&B―――それもクリティーナ・アギレラ等に代表されるようなドメジャーなR&B―――というカテゴリにキレイに収まりすぎており、必然的に大多数の中に埋もれ、その個性が弱まってしまっている。
 楽曲の振り幅という意味でも、『エキスドス』にはハードなダンス・ビートをガンガン取り入れていくなどさり気に実験精神は旺盛だったわけで、逆に本作を聴くことで『エキスドス』の評価を上方修正したくなった。

 ただ宇多田本人は本作の出来について、「基本に帰り、凝っていない、素直で自信とユーモアに溢れた作品(Wiki情報)」として、割と気に入っているらしい。
 たしかにジャネット・ジャクソンやTLCに憧れてこの世界に入った宇多田にとって、本作のような「コマーシャルなR&B」は王道サウンドであり、キャリア上いつかは必ず再訪しないといけない「原点回帰作」のような位置付けだったのかもしれない。

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