86年当時、解散説が囁かれるほど険悪になってしまったミック・ジャガーとキース・リチャーズだったが、キース主導でなんとか完成までこぎつけた曰くつきの1作『ダーティ・ワーク』。
「汚い仕事」とはさもありなん。全編にわたって小奇麗に整えられた節がまるでない、まさしく「汚い仕事」である。ソロ活動にご執心でやる気のないミックがとりわけ汚い。口角泡を飛ばしながら叫んでるあの姿が浮 かんでくるようなすさまじいシャウトで、これは力みすぎているというより、単純にヤケクソになっているだけ。
かねてよりミックのボーカルとしての魅力は、
男性的なワイルドさと中性的な甘い声質とがミックスされた声にあると思っているのだが、今作に至っては男性的なマチズモに支配されている。とにかく喧々している。
一方のキースはと言えば、これまたラウドなギター・サウンドが全面的に展開されていて、とにかく荒々しい。ただしレゲエのカッティングからスローなソウル・バラッドまで、とりわけキースがボーカルを取る2曲に関しては様々なギター・プレイが試みられているし、ミックのようにヤケクソというよりは、主導権を握ったことで伸び伸びと自由にプレイできている、といった印象の方が強い。
ただしリフ中心のギター・サウンドがどれだけ尖っていても、楽曲の中でリズム・ギターとして響かないとストーンズとしての音楽は完成しない。そう、本作でもっとも問題なのはリズム面である。
当時アルコール依存症の治療中だったチャーリー・ワッツはいつものような説得力のあるプレイを発揮できてないばかりか、プロデューサーのスティーヴ・リリーホワイトがよりによってスネアに強いエフェクトを掛けてしまったおかげで、いかにも80年代的なバカでかくて硬いビートになってしまった。
これが普通のバンドだったら「時代の音」という範疇で許すことができたかもしれない。だがストーンズのサウンドの核は何度も言っているように、チャーリーのドラムとキースのリズム・ギターが重なり合ったときに作り出される独特なグルーヴにあるため、本作ではその二人がうまく噛み合ってないことでグルーヴがうまく機能しなくなっているように思える。
本来、この手の新しいサウンドに手をつけたがるのはミックだが、今回はキースがリーダーにもかかわらず、なぜこうなってしまったのか。彼は自分のプレイについてはこだわっても、個々の音色まで興味が持てないというか、全体のディレクションまで気を配るだけの余裕がない。あるいはプロデューサー的な視点にも欠けていたのかもしれない(だからこそ大物プロデューサーを起用したのだろうし)。
というわけで、あらゆる歯車がうまく噛み合わないまま、それでも強引にエンジンをふかしたことでバンドの音がギシギシと鈍い音を立てている。このアルバムは荒々しさが魅力なんだと、そう擁護するだけの価値を残念ながら僕には見出すことができなかった。
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