mixiユーザー(id:2230131)

2019年07月23日12:41

124 view

ULTRA BLUE/宇多田ヒカル

 宇多田ヒカルの大きな魅力のひとつは、「欧米的なフィーリング(生まれ育った土地柄)」と「日本的な情緒(DNA)」を高い次元でハイブリッドさせたユニークなサウンドにあると思っている。
 しかも彼女はそのふたつを無自覚なまま混合しているのではなく、両者の感覚の違いを正確に理解し、楽曲の形にアレンジする際も、その匙加減を自分で細かく調整して配合できてしまう、実はかなり計算高い音楽家ではないかと思っている。(きっと頭が良いのだろう)

 そこに来て、やりすぎなくらい「欧米」に振り切った全米デビュー作『エキソドス』の失敗がよっぽど堪えたのか、宇多田ヒカル名義での4作目『ULTRA BLUE』では、吹っ切れたように日本人が好きそうな曲調、歌詞、プロダクション、楽曲構造へと舞い戻った。

 具体的に言うと、リズムに重心を置いたダンス・ミュージックとしての機能性は大きく後退し、日本人が好きな叙情的なバラッドを多く配置。プロダクションも隙間や空間を活かしたミニマルなものから、日本人が好きなハーモニクスや和声の豊かさを強調したプロダクションに。あと単純に、ボーカルの録音レベルをやたらデカくしている(笑)。
 平たく言えば、宇多田の全カタログの中でももっともJポップ寄りの作品になっていると言っていい。それによって、ボーカリストとしての宇多田ヒカルをよりストレートに堪能できる作品に仕上がっている。“Be My Last”における「怨念的」とも呼べるようなエモーショナルなボーカルと、演歌調とも言えるような湿った抒情性はいかにもJポップ的だが、この方向性ではひとつの到達点だと思える。

 唯一、トライバルなリズム・パターンを持つ“Passion”だけは、『エキソドス』からの連続性を感じさせるが、アルバム1曲目にふさわしいこのエキゾチックなダンス・チューンが、なぜかラストにボーナス・トラック的な立ち位置で収まり悪く収録されている。わざわざインタールード“Eclipse”を頭に乗っけて違和感を緩和させてまで…。
 これはあくまで僕の邪推になるのだけれど、この曲が一発目で鳴ったとき、日本のリスナーに「またあの感じか」と思われて聴くのを中断させられることを懸念したのではないか。そう考えると合点がいくし、全体的にかなり日本のファン向けに作られたアルバムなのは間違いない。

 ただ『エキソドス』にも増してセルフ・プロデュースの比重が強く、それが宇多田的Jポップの中で展開されたとき、結果として、「ティンバランドの借り物」ではない、よりパーソナルな宇多田個人の世界感が表現されるようになった、という向きもある。次作『HEART STATION』ではその傾向がより強まり、オタク的に極まった卓録エレ・ポップへと結実していくのだけれど。
 日本の歌姫としての、再出発作品。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年07月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

最近の日記