一聴して、女性ならではの感性が活かされた、女性的な作品だと感じた。
女性的というのは、柔和で、感覚的で、繊細で、角がなくてまろやかで、といった音の質感に対する印象論もまずあるけれど。それ以前に、作曲の方法論からして女性的な部分が強いと感じられた。
たとえば僕なりに想像する「男性的な作曲」というのは、すべてにおいて論理的に構築されたもので、コード進行に凝り、エッジが立っていて、隅々までキッチリ作り込まれた、いかにもスクエアな感覚を僕は思い浮かべる。
従来のケイトのソングライティングもそのような男性的な部分を強く感じられたのだけれど、本作に関しては、スクエア(四角)というよりサークル(丸)。理論的というよりは偶発的で、メロディよりもハーモニーに凝り、細かいディティールよりも全体の雰囲気を重視し、より本能的で、流動的。まさに女性ならでは感覚の赴くまま、より肩の力を抜いてナチュラルに音楽に戯れるケイトの姿を思い浮かべることができる。
表面的な意匠という意味では、“ディーパー・アンダースタンディング”に代表される本格的なブルガリアン・ヴォイスの導入、アイルランド楽団の編成など、北欧のワールド・ミュージック的な土着性、神秘性が強まっており、本作の自然主義的な作風にも合致していると思う。
そんなトラディショナルな楽曲群の中で一際異彩を放っているのが、随所で鳴らされる特徴的なベースライン。もはやフレッドレスベースの音色はケイトのシグネチャーのひとつになった感があるけれども、今回はなんと元ジャパンのミック・カーンまで招集、いつもより激しくブウォンブウォンン、ビィキビィキ、ドゥクドゥク(アホな擬音)やっている。前述したようにフワフワとした心地良い楽曲ばかりで、ともすれば引っ掛かりがなく通り過ぎてしまいそうになるところ、この強烈なベースが現実に引き戻す良いアクセントになっている。
あれれ?やっぱり自分は男性的なケイトの方が好きなのかも?
ログインしてコメントを確認・投稿する