ニール・ヤングの音楽が無性に聴きたくなる季節があるように、なぜだかわからないけれど、カーティス・メイフィールドの音楽に時を忘れて心ゆくまで浸っていたい季節もある。
そしてそんな季節は、カーティスの歌声というより、その演奏の暖かい表情を僕の耳は常に追い掛けている。声を含めたサウンド全体の「ムード」や「空気感」といったぼんやりとしたイメージの中にこそカーティスを強く感じる。スティーヴィー・ワンダーほど職人的に「ポップス」に向き合わず、またドラスティックな変化も起こさない彼の音楽は、退屈な代わりにどこまでも温めの「湯たんぽ」のように、リスナーには常に暖かい高揚感が保証されている。そんな彼のポジションは、ニュー・ソウルの音楽としては実は貴重な存在だ。
スパイスを加えているのはむしろ歌詞の方で、ベトナム帰還兵について歌ったタイトル・トラックから始まる本作『バック・トゥ・ザ・ワールド』は、さしずめマーヴィン・ゲイ『
ホワッツ・ゴーイング・オン』を彷彿とさせるような、巨大な権威に対しての静かな怒りに満ちている。硬派なシカゴ・ファンク“ライト・フォー・ザ・ダークネス”のアウトロにおけるストリングスは、まるで争いを止めない人類すべてに課せられた贖罪であるかのように、ただひたすら崇高に鳴り響く。一方で、そのようなシリアスさを吹き飛ばさんとばかりに配置された“イフ・アイ・ワー・オンリー・ア・チャイルド・アゲイン”では、一転して天井知らずのハッピーなヴァイブに夢が広がる。
終始、一貫したムードで統一されつつも、楽曲によって様々な表情を見せる我らがカーティス・サウンド。この季節はこんなフィーリングに浸りたい。だけれど、どんな曲でも相変わらず、性懲りもなく、彼はその弱々しく線の細いファルセットによる歌唱をやめようとしない。というか単純な話、この歌い方に僕はそろそろ食傷気味になりかけている(笑)。
もともとカーティス・メイフィールドというシンガーは、ポリティカルでメッセージ性の強い歌を、叫んだり、がなったりするのではなく、あくまで繊細なファルセットによって優しくつぶやくように、あるいは
ファンクと戯れて笑い転げるようにたくましく演じて(演奏して)しまうことで、そのサウンドとの相反するムードの意外性が評価されたアーティストだと思っていて。その点では本作も十分頷ける「カーティス・サウンド」なのだけれど、いかんせん僕の英語力では歌詞の意味が頭に入ってこず、ただの甘ったるいソウル音楽にしか聴こえない瞬間があるのだ。聴いてるときの心地良さ、その融通無碍なる幸福感は、彼の作品でも随一ではあるけれど。
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